サム・フランシスの作品を買取ります
サム・フランシスはアメリカ出身の抽象的表現主義の画家で、20世紀後半の美術を代表する巨匠の1人です。
サム・フランシスはアメリカ合衆国カリフォルニア州に生まれでカリフォルニア大学バークレー校で植物学、心理学、医学、東洋哲学、禅仏教を学びました。
途中に兵役の為に休学し、空軍パイロットを志願し700時間もの訓練飛行を行ったそうで、将来軍人として有望だったそうです。
その後、飛行訓練中の緊急着陸時に脊髄負傷となり、その傷が原因で結核を患い一年間入院生活となりました。
この入院生活を紛らわす為に初めて絵を描くことになり、その時にミロ、ピカソ、エル・グレコなど巨匠の本物の絵画を見た事が、大きなきっかけとなり芸術の都パリに留学しました。
その時拝見したエル・グレコの「聖ペテロ」は「もし絵がなかったら、たぶん自分は死んでいたことだろう。エル・グレコの絵が自分の人生を変えてくれた」という本人が話しており、病状も著しく回復したそうです。
サム・フランシスがパリに行った頃の作品は無名だった事もあり、絵具を揃えるのが難しく赤、青、黄、白、緑など基本的な色のみを使っています。
サム・フランシスは白の可能性を追求し、白を基調とした多くの作品はパイロット時代に見た不透明な光を帯びた雲のような質感を表現した「ホワイト・ペインティング」と呼ばれサム・フランシス様式の固有名詞となっています。
その後はニューヨークや東京を旅しながら作品を発表します。
丁度その頃、サム・フランシス独自の白と東洋の美を感じる事の出来る筆致が日本の出光興産の出光佐三の目に止まり生涯のスポンサーとなりました。
そのため出光佐三が亡くなった現在でも出光美術館に300点もの作品が並んでいます。
同年に出光佐三の四女・出光真子と出会い結婚しますが過労から腎臓結核を患います。
この頃に男性の欲求不満の象徴と作家としてのジレンマが表現された「ブルーボールシリーズ」を描きます。
また、サム・フランシスの作品はその時の体調によって色彩が変わり、水墨画のような滲み、ハネ、飛沫、余白にも違いが見られ、健康状態、精神状態が判るといわれています。
作品の中にはポップ・アーティスト達と制作した版画集「1¢Life」は抽象的な絵柄にポップな色彩を組み合わせているものもあります。
またタイトルに禅の影響からか無題が多いのも特徴です。
最大のスポンサーである出光佐三が亡くなった後、大きなショックだったのかサム・フランシスの作品からは虚無感が伝わってくるといわれています。
サム・フランシスは惜しまらながらもガンによる合併症で71歳の時にカリフォルニア州サンタモニカでその生涯を終えています。