埼玉県出身の昭和後期~平成時代に活躍した日本の洋画家で、スペインの踊り子や風景を作品として多く残しています。
その中でも女性像は力強い筆致と鮮明な色彩感覚で表現されており、所属していた二科会随一のヨーロッパの美人画と言われていました。
橋梁技師であった父親は日本画を嗜んでおり、幼い頃から芸術に触れて育った斎藤三郎は東京物理学校に入学している時に本郷絵画研究所に通っていました。
東京物理学校を中退し、世界大戦によって出征となった斎藤三郎は戦地で画家になる事を決意し、独学で絵を習得していきました。
発表の場として二科会を選び、積極的に作品を発表すると次々と受賞を重ね、二科会の中心的人物となっていきました。
そんな中、フランス、スペインを遊学する機会を与えられた事をきっかけに抽象画を中心に描いていた斎藤三郎の画風が、スペインの踊り子や風景をテーマにした色鮮やかな色彩で情熱的で華麗な世界観へと変化していきました。
この事がきっかけで大衆的な人気を集め、現在でも高値で取引されている作品が多数存在します。