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関根正二

関根正二
関根正二(1899~1919)
大正期の洋画家。本名は正二と書いてまさじ。
1899年、福島県白河郡大沼村(現白河市)に生まれる。

1908年に東京深川に家族とともに転居。友人に伊藤深水(のちの美人画の巨匠)がおり、彼の紹介で中学を中退し、15歳の時から印刷会社に勤める。また、本郷洋画研究所に通い本格的な作画活動に入り
1915年、16歳の時に描いた「死を思う日」が第2回二科展に入選。1918年、19歳の時に二科展出品作の「信仰の悲しみ」が樗牛賞に選ばれたが、その翌年、持病の蓄膿症とそれに伴う神経衰弱及び、肺結核のためにわずか20歳で死去した。
その余りにも短過ぎた生涯のため現存する作品は少ないが、彼の代表作である「信仰の悲しみ」は日本の近代洋画史を代表する傑作の一つと評され、2003年に重要文化財の指定を受けている。

関根正二年表

1899年 福島県西白河郡大沼村に生まれる。

1906年 白河尋常高等小学校入学。2年生まで在籍 転居に伴い東京・深川区東川尋常小学校に転校。
          遊び友達に、のちの日本画家伊東深水がおり、関根が画家になる大きなきっかけになる。

1912年 錦常中学校入学。同中学校を中退。深水の紹介で印刷会社図案部に就職。

1913年 図案部の顧問に結城素明がおり、深水のすすめで日本画を描く。本郷洋画研究所に通う。

1914年 太平洋画研究所に入るが数ヶ月で辞める。

1915年 前田夕暮門下の歌人村岡黒影らと文芸同人雑誌「炎」を始める。
          第二回二科展「死を思う日」出品。入選。

1916年 第三回二科展 3点入選。

1917年 第四回二科展「長野近郊」入選。「少年」製作。「村岡みん像」屏風「天平美人図」を描く。
          「三星」「子供」の制作に入る。

1918年 久米正雄を知り、芝居の舞台出演や舞台画を描く。第五回二科展に「自画像」「姉妹」「信仰のかなしみ」出品。
          入選作「信仰のかなしみ」最高賞の樗牛賞を受ける。「文章世界」「太陽」等の雑誌に表紙や挿絵を描く。

1919年 「慰められつつ悩む」「自画像」「三星」「子供」制作。デッサン等多くを焼失。
          6月16日、満20歳2ケ月の短い生涯に幕を閉じる。

関根正二代表作

『 村岡みんの肖像 』

『 信仰の悲しみ 』

『 姉弟 』

『 子供 』

『 真田吉之助夫婦像 』

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