東京都出身の昭和~平成時代に活躍する日本画家です。
「自らが感動して描いた絵、感動が無ければ人に感動を与えることは出来ないのではないか」という信念のもと、植物を中心とした日本画を描き続けています。
その作品からは可憐な姿の中に隠された生命のたくましさや生命の連鎖に対する畏敬の念を読み取ることができます。
伝統的な日本画の画材や技法を熟知するだけにとどまらず、新しい素材や機器をも活用し工夫を重ねることで魅力ある作品を作りだしています。
近年では色のある世界はごまかしがきくと感じたため、単純明快な墨の世界へ没頭し、水墨画にも新境地を見出し、日本画の伝統技法を守りながらも近代的な感覚をも取り入れたものを多く制作しています。
日本画の基礎を学んだ東京藝術大学では、滲み止めの作り方や膠の溶かし方など日本画の技術的なものはほとんど教わらず、絵が出来上がると研究会を開いて批評を受け、失敗を認め新しい自分のやり方を開発して覚えていくという教授たちの考えのもと制作活動を続け、自らの作風を築き上げていきました。
東京藝術大学の大学院を修了し、院展に初入選を果たすとそこから日本画家として頭角を現し、数々の賞を受賞するようになりました。
その中でも再興第54回院展に出品した「青木ヶ原」で入選を果たした事は作品の方向性の転機をもたらし、院展的ではない自己流の絵を描いていこうと決意します。
ちなみに当時の院展では色を塗っていない部分があると選考で落とされると言われていましたが、田渕俊夫は色ではなく線だけで表現した部分があり、思い切って出品したところ、その作品が良い評価を受けたというエピソードが残されています。
また、30代になると愛知県立芸術大学で片岡球子のもとで学生に日本画の指導を行っていました。
片岡球子は日本芸術院会員として活躍した女性の日本画家で、型破りな構成と大胆な色使いが特徴です。
片岡球子のもとでは自分の考えとは違う学生へ指導をする考え方を学び、とても勉強になったと言っています。