石川県出身の昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
浄土真宗大谷派専称寺の住職です。
近代の宗教家・高光大船の長男です。
石川県立工業学校図案絵画科を卒業し、中村研一に師事して二科展、帝展に出品しました。
田舎暮らしで画壇の事情にうとかった高光は師に「そろそろ院賞をいただきましょう」と促され、訳のわからないまま、夢中に制作した「緑の服」で日本芸術院賞を受けました。
しかし、その賞をもらった時は師は亡くなっており、申し訳ない気持ちでいっぱいだったそうです。
戦時中は陸軍記録班としてインドシナ半島に派遣されましたが、帰国後は石川県文化美術協会、金沢美術工芸学校を創立し、講師や各理事をつとめ後進の指導にあたりました。
人物画を主に描いており、特に華やかな女性像を得意としていました。
仏教に関する著作も書いています。
70歳の時に「紫色のコスチューム」という題で往年の歌手・淡谷のり子を描いています。