盛期ルネサンス期に活躍したヴェネツィア派の画家です。
画業だけではルネサンスの三大巨匠を凌ぐ実力を持っているといわれています。
ピエーヴェ・ディ・カドーレ城の管理者で、地方鉱山の責任者でもあった家の長男として生まれました。
父親は著名な評議員、軍人で、祖父は公証人というヴェネツィア共和国統治下のこの地方の名家でした。
ヴェネツィアのモザイク画家セバスティアーノ・ツッカートに弟子入りし、ジェンティーレの工房を経て、ジョヴァンニ・ベッリーニの工房で画業を学びました。
そこで出会った盛期ルネサンス様式の創始者ジョルジョーネと出会い大きな影響を受け、ジョルジョーネの死後、彼の未完成の作品を完成させています。
ヴェネツィア共和国の公認画家となり、フラーリ聖堂の祭壇画や宮廷との歓迎を築き、画家として順調な業績を重ねていきました。
神聖ローマ帝国皇帝カール5世に支持され、その息子のフェリペ2世からも絶大な信頼を得て、ティツィアーノの後援者になってくれました。
また、教皇パウルス3世や名門貴族ファルネーゼ家から依頼を受けるなど、ルネサンス期に活躍した画家の中で最も長い人生を送りました。
作風は生涯に渡り、変化を続けてきましたが、色彩の魅力を存分に発揮した鮮やかに彩色されるので「色彩の錬金術」と呼ばれるようになりました。
その作品たちは真作数は約300点、工房作品も含めると500点を超える数を残しています。