【田辺至】買取作家・取扱い一覧 絵画

田辺至

田辺至
田辺至(1886~1968)
東京都出身の大正~昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
温雅な作風の人物画・風景画で知られており、この作風は音楽鑑賞が趣味であった田辺至ならではのもので、クラシック音楽にインスピレーションを受けて制作されているそうです。
また、32歳という若さで東京美術学校の助教授の地位を手に入れるなど、早熟な才能であった事が分かります。
 
東京美術学校西洋画科に入学した田辺至は、黒田清輝に師事しました。
卒業後は東京美術学校西洋画科研究所に進学し、絵画の研究を続けながら文展や帝展などの官展系で活躍を見せ、数々の賞を受賞しています。
後に東京美術学校助教授に任命され、文部省在外研究員として美術研究のためヨーロッパ諸国を歴遊し、自らの画風を確立していきました。
東京美術学校教授となってからは長い期間その任にあたり、後進の指導にあたってきました。
 
戦時中は海軍軍事普及部嘱託となり、派遣先で記録画の制作にあたっていました。
しかし、戦後になるとどの美術団体にも所属せずに自分のペースで絵を描いており、鎌倉美術家クラブ代表、県立近代美術館運営委員などをつとめ悠々自適に暮らしました。
また、絵画だけではなくエッチングも手掛けており、日本エッチング作家協会・版画奉公会にも参加していました。

田辺至年表


1886年 東京都で生まれる
1907年 文展で褒状となる
1914年 二科会設立に参加する
1915年 文展で三等賞となる
1918年 文展で特選となる
1919年 東京美術学校助教授に就任する
1922年 文部上在外研究員として渡欧する
1925年 光風会に出品する
1927年 帝展で帝国美術賞を受賞する
1928年 東京美術学校教授に就任する
1968年 脳卒中のため82歳で逝去

1886年 東京都で生まれる

1907年 文展で褒状となる

1914年 二科会設立に参加する

1915年 文展で三等賞となる

1918年 文展で特選となる

1919年 東京美術学校助教授に就任する

1922年 文部上在外研究員として渡欧する

1925年 光風会に出品する

1927年 帝展で帝国美術賞を受賞する

1928年 東京美術学校教授に就任する

1968年 脳卒中のため82歳で逝去


田辺至代表作


『裸体』
『花』
『畑』
『モレーの洗濯場』

『裸体』

『花』

『畑』

『モレーの洗濯場』


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