東京都出身の大正~昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
温雅な作風の人物画・風景画で知られており、この作風は音楽鑑賞が趣味であった田辺至ならではのもので、クラシック音楽にインスピレーションを受けて制作されているそうです。
また、32歳という若さで東京美術学校の助教授の地位を手に入れるなど、早熟な才能であった事が分かります。
東京美術学校西洋画科に入学した田辺至は、黒田清輝に師事しました。
卒業後は東京美術学校西洋画科研究所に進学し、絵画の研究を続けながら文展や帝展などの官展系で活躍を見せ、数々の賞を受賞しています。
後に東京美術学校助教授に任命され、文部省在外研究員として美術研究のためヨーロッパ諸国を歴遊し、自らの画風を確立していきました。
東京美術学校教授となってからは長い期間その任にあたり、後進の指導にあたってきました。
戦時中は海軍軍事普及部嘱託となり、派遣先で記録画の制作にあたっていました。
しかし、戦後になるとどの美術団体にも所属せずに自分のペースで絵を描いており、鎌倉美術家クラブ代表、県立近代美術館運営委員などをつとめ悠々自適に暮らしました。
また、絵画だけではなくエッチングも手掛けており、日本エッチング作家協会・版画奉公会にも参加していました。