埼玉県出身の昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
風景の前面に大きく盛り上げた花瓶に活けられた花という独特の構図を持つ作品や、山麓に抱かれた集落など懐かしくも穏やかな風景画を多く手掛けており、洋画界の重鎮として活躍しました。
代々医者という家系の次男として生まれた高田誠は中学校を卒業すると、医者としての道を歩む事はなく、洋画家・跡見泰(あとみゆたか)に師事しました。
幼い頃から絵を描く事が好きだった高田誠は16歳という若さで二科展に出品し、入選を果たします。
こうして画家として生きていく事を決めた高田誠は、安井曽太郎に師事し大きな影響を受けます。
しかし、次第に安井曽太郎の影響から脱して点描による装飾性と詩情が融合した独自の画風を確立し、多くの作品を手掛けました。
一水会展、新文展、日展に出品し受賞を重ね、日本芸術院賞を受賞し、日本芸術院会員に選ばれた高田誠は、文化功労者、埼玉県民栄誉賞を受賞し、埼玉県の美術文化に大きく貢献した地域ゆかりの作家の中でも中核をなす画家の一人としてその名を残しました。