江戸生まれの日本洋画家。
幼名は猪之助、のち佁之介。名は浩、字は剛。
明治維新後に由一を名乗る。
号は藍川、華陰逸人。居庵号は、石蒼波舎、伝神楼。
近世にも洋画や洋風画を試みた日本人画家は数多くいたが、由一は本格的な油絵技法を習得し江戸後末期から明治中頃まで活躍した、日本で最初の「洋画家」といわれる。
佐野藩士の子として江戸藩邸に生まれ、幼児の頃から日本画(狩野派、北宗画)を学ぶがのちに石版画や洋画の研究を開始。また1862年には蕃書調所の画学局に入局し、川上冬涯に師事。66年には当時横浜に住んでいたイギリス人ワーグマン、76年には工部美術学校教師として来日したイタリア人画家アントニオ・フォンタネージに師事している。その間、大学南校の画学教官に就任。1873年に職を辞して画塾天絵舎を創設。原田直次郎や高橋源吉ら多くの弟子を輩出している。
江戸後期~明治初期にかけての日本洋画創世記において西洋画の模倣でなく本格的に油彩画の技法を研究・習得したパイオニア的画家のひとりとして高く評価され、1879年には元老院の依頼による明治天皇肖像を描いており、代表作の『鮭』、『花魁』はともに重要文化財に指定されている。