神奈川県出身の昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
茶色を基調とした渋い色調の絵具を多用し、土壁のような絵肌の単純化された構図の作品が特徴で、これは砂を混ぜた絵具を厚く盛り上げ、それをノミで削り取る技法で制作されています。
この方法で単純な構成とざらざらとした絵肌の重厚な質感により、雅趣に富む味わいと気品を湛えるフォービズム的画風を確立しています。
また、「黒い絵」と呼ばれる一見、画面を黒く塗っただけのものに見える作品は、その作品をじっと見て目が慣れてくると不思議と絵が浮かび上がってくるような感覚になる不思議な作品で、その代表的な作品は「夜のノートルダム」「水田」「信州の畠」などがあります。
中学生の頃からおこづかいで油絵具を購入し、絵を描いていた鳥海青児は岸田劉生や萬鉄五郎の住居の近くに住んでいた事もあり画家を志すようになります。
関西大学に入学し、春陽会に出品すると入選を果たし、三岸好太郎ら同志と麓人社を結成して絵画勉強に励んでいました。
関西大学を卒業してからは2年連続で春陽会賞を受賞するなど頭角を現しました。
その功績が認められ、春陽会会員となりますが、春陽会を脱会して独立美術協会に転じ、独立美術協会の重要な作家として活躍を見せました。
それは芸術選奨、文部大臣賞、毎日美術賞など数々の賞を受賞するといった形で表れ、この頃から東洋日本の古い仏画に関心を持つようになりました。
また、初めて渡欧をした際、モロッコやアルジェリアに滞在しており、その体験とゴヤやレンブラントの作品に強い影響を受けて、鳥海青児の代名詞ともいえる個性的な作風を築き上げていき、より一層魅力のある作品へと変化していきました。
この他にもインド、エジプト、中国などに外遊し各地の風景や風習をもとに制作された作品も多く、鳥海青児の重厚的なフォービズム的な画風が生み出されました。
鳥海青児は東洋日本の古い仏画以外にも古陶磁器にも強い関心を寄せ、古美術の蒐集でも知られています。