東京都出身の昭和時代に活躍した日本の洋画家です。
油彩画に山水画の東洋的感覚を持ち込んだ作風で知られ、20歳を過ぎて訪れた蓼科高原の雄大な景色に魅せられ、生涯を通じて日本の高原風景を主題としてきました。
また、日本の大地をこよなく愛し、毎年のように信州を訪れ、信州の風景を題材にした作品を数多く残しています。
日本の四季の中でも特に冬の寂しく暗い風土を愛した田村一男は厳寒期も屋外で高原風景の写生を行い、写実画とは違う心像風景画の魅力を携えた作品を展開しました。
高等小学校を卒業した田村一男は東京市電気局や新聞社に勤務しますが、画家を志して本郷洋画研究所で岡田三郎助に師事しました。
この時に洋風額縁の先駆者である長尾建吉の磯谷商店に勤めていた事も画家となる大きなきっかけになったようです。
帝展で初入選を果たすと新文展、光風会展へと出品を重ねるようになり、数々の賞を受賞するようになります。
また、戦後は日展を中心に活躍し、文部大臣賞、日本芸術院賞を受賞し、日本芸術院会員となっています。
こういった功績が認められ、勲三等瑞宝章、文化功労者表彰を受けるなど文化人として認められる存在となりました。
ヨーロッパへの滞在経験もあり、ヨーロッパの風景画を描いていた時期もありましたが、制作当初より一貫して日本の山々や高原風景を描き続け、自然風景に自己の精神的イメージを転化した心象風景画を確立し、当初は鮮やかな色彩を多用していましたが、壮年期~晩年期にかけて年々モノクロ調での描写に変わり真実の存在感を表現できる画家として高く評価されるようになりました。