大阪府出身の昭和時代に活躍した日本の画家で、抽象画を手掛けた人物です。
世界的評価も高い「具体美術協会」のリーダーであり、前衛美術の先駆者である他にも実業家としても知られています。
吉原治良は大阪の油問屋(現・J-オイルミルズ)の息子として生まれました。
北野中学校(現・北野高等学校)に通っていた頃に独学で油絵を学び、関西学院高等商業学部を卒業すると絵の勉強のためフランスへ渡りました。
フランスでは初の個展を開催し、この頃の作品は魚をモチーフにしていた事から「魚の画家」として注目されていました。
フランスのパリで活動を続け、西洋画壇で絶賛されていた吉原治良は、自身も尊敬していた藤田嗣治と出会い、自分の作品を見てもらうとオリジナリティのなさを指摘されました。
この事がきっかけでシュルレアリスム風から純粋な抽象へと作風を転換させ、オリジナリティを追求するようになります。
後に二科会の前衛的な作家達と九室会を結成し、日本の抽象芸術を牽引していく存在となっています。
第二次世界大戦中や戦後しばらくの間、抽象から具象へと原点回帰していますが、描く行為自体を表現する激しい抽象表現へと作風が変化します。
こうして吉原治良が生み出した、よりオリジナリティに溢れた魅力ある作品は、フランスで起こったアンフォルメル運動と同時性が注目されるようになります。
この頃の吉原治良の活躍は絵画だけではなく、舞台装置のプロデュースでも見られ、若い芸術家を集めて画塾も開き、後進の指導にあたりました。
その後、吉原治良は国際的な前衛芸術家集団である具象美術協会を結成し、リーダーとして「人のマネはするな」と説いており、自身は考え抜いた者だけが辿り着ける極みのような作品『円』を完成させました。
また、吉原製油の社長に就任すると事業でもデザインにこだわり、「ゴールデンサラダ油」のパッケージデザインにあたり、当時もっともモダンなグラフィックデザインを手掛けていた早川良雄に依頼するなど、画家らしくハイセンスな一面を見せていました。