吉田善彦は東京都出身で、天才と呼ばれその短い画家人生であった速水御舟に師事した希少な日本画家として知られており、本名は誠二郎といいます。
吉田善彦は幼い頃から絵に興味があり、18歳の頃に従兄弟の速水御舟に師事しています。
そこで宋元絵画・仏画・絵巻などの古典模写やデッサンの基本を学び「絵は心」だと教わり、速水御舟が亡くなってからおよそ2年の月日が流れた頃に院展での初入選を果たしました。
その後、『髪』という作品が日本初となる裸体画切手のデザインとなった事で知られる小林古径(こばやしこけい)に師事しており、才能を伸ばし続け受賞を重ねますが32歳の頃、太平洋戦争勃発し召集されています。
戦地から無事帰還を果たしブランクがあったにも関わらず才能を発揮し、院展を中心に精力的に活動を続けます。
院展では総理大臣賞受賞を果たすなど美術界に名前が広く知られるようになり、後に日本芸術院会員への選出や、東京芸術大学教授など日本洋画壇の確固たる地位を確立します。また、後進の指導にも尽力し、現在の美術界にとっても重要な存在とされています。
吉田善彦の作品は描いた絵に金箔のベールを被せ、その上に再度絵を描くという独自の技法が用いられているのが特徴的で、古絵からヒントを得たこの技法は「吉田様式」ともいわれており、これまでの日本画にはない奥行と画面構成、そして金箔の光が気品を放っています。
このように魅力的な作品を生み出してきた吉田善彦は、院展最後の正統派の巨匠として高く評価されています。