今回、いわの美術がお買取したお品物は、長澤氏春の能面で般若の面です。
長澤氏春は、面打師としては初めての無形文化財選定保存技術保持者に認定されており、能面の中でも最高に難しいとされている女面を得意としている面打師です。
面打の世界では、女面を立派に打てればどんな面でもできると言われており、一人前の面打師になるには40年以上の歳月を必要としており、その途中では様々な壁にぶち当たり、思ったように面が打てずに心が折れ、面打を辞めてしまう面打師もいるそうです。
長澤氏春も幾度となく、スランプに陥り、その度に面打を辞めようかと考えた事がありましたが、最終的には面打の重鎮としてその名が広く知れ渡るほど有名となりました。
長澤氏春は本名を長澤金子郎(きんしろう)と言い、家は代々京都御所に出入りする「檜皮屋(ひわだや)」という屋号の名字帯刀を許された由緒ある植木職を営んでおり、裕福な家庭環境で育ちました。
その後、父親は様々な事業を行いますが失敗に終わり、長澤氏春は染物屋、袋物屋とあちこち丁稚奉公に出され、最後に父が遠い親戚にあたる面打師・橘清伍(たちばなせいご)の元へと連れて行った事がきっかけで面打師となる事を決意しました。
生まれつき手先が器用だった長澤氏春は飲み込みが早く1年ほどで独立する事に成功し、古い能面を借りる事でその面を写す事を繰り返していくうちに見事な面打に技術を身に付けました。
しかし、戦時中、戦後は面はまったく売れず、食べていくために友禅の下絵書き、大工、左官、仏師、麻雀牌の制作に携わっていました。
今回、お買取りした般若の面は、魂が込められているかのような気迫のある面で、細部にまでこだわっているのがよく分かる面でした。
般若の面は女性の怨霊を表現する面で、恨みや復讐の敵愾心を芸術化したものとされていますが、本来「般若」という言葉は、梵語の「智慧、知恵」を意味する言葉で、日本人の蛇信仰により蛇の面から進化したと言われています。