この度いわの美術でお買取りさせていただいた作品は大正から昭和期に活躍した近代日本画家、歴史画の巨匠として知られる安田鞍彦による掛軸です。
安田鞍彦は近代日本美術の発展に貢献した岡倉天心から直接手ほどきを受けた最後の世代の一人と言われ、装束品の細部に至るまでしっかりとした時代考証に基づいて描かれているのがひとつの特徴です。今では多くの作品が歴史や美術の教科書に使われているので、名前を知らずとも作品に見覚えがある方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。『日本画』と聞いて誰しもがイメージする、細い線で描かれた切れ長の目やすっきりとした面立ち、そしてその特徴的な構図は安田鞍彦が80年を超える画業をかけて確立したと言っても過言ではありません。
安田鞍彦(やすだ ゆきひこ)
1884年東京府日本橋区(現東京都中央区)の料亭「百尺」の四男として生まれました。
幼い頃から肺が弱く病床に伏すことも多かったそうです。父親が亡くなった後、一家は料亭を人手に譲り、現台東区の御隠坂付近に引っ越すとしばしば上野公園の博物館まで足を延ばしました。そこで見た多くの美術品に感銘を受け、創作意欲を刺激された鞍彦はその頃から積極的に絵を描くようになります。本格的に画家を志すようになった鞍彦は1898年に歴史画を得意とする小堀鞍音(こぼり ともと)に弟子入りし、徹底した時代考証と写実の教えを学びました。今となっては有名美術館で回顧展が開かれることもありますが、中には作者が15歳の時に描いた作品も展示されており、幼い頃から極めて高い画力を身に付けていたことがわかります。2年間の師弟関係を経た後に東京美術学校に進学するも中退。その後、鞍彦は東京美術学校の校長を排斥されるも日本美術院を創設するなどして近代日本美術の発展に大きく貢献した岡倉覚三(天心)に画才を認められ、1907年には新人画家として日本美術院に招待されます。院展に積極的に出品を続けた鞍彦は、良寛にちなんだ作品などその後も長きに渡って語り継がれる名作を手掛け、歴史画家として確固たる地位を築きました。
1930年代も後半に入り時勢に戦争の色が増してくると、歴史画家として活躍していた鞍彦のもとにも国民の戦意を鼓舞する作品を手掛けるよう軍部からの依頼を受け、国家に協力する使命を課されるようになります。その頃の代表作として『山本五十六元師像』や歴史画の秀作と言われる『黄瀬川陣』などが知られています。終戦を迎え、敗戦による世間の価値観の変化は日本画壇にも影響を与え、戦前期まで描かれていた日本画や歴史画は非現実的などと批判されるようになります。多くの画家が題材や画風を変える中、安田鞍彦は歴史画にこだわり続け、94歳の生涯が尽きるまで歴史上人物や場面を描き続けました。なかでも、切手として発行された『飛鳥の春の額田王』は鞍彦が80歳の時に描かれた作品で、戦後に描かれた日本画において抜きんでて優れた秀作として評価されています。
1948年には文化勲章を受章、1958年に日本美術院の初代理事長となり、さらには1965年に東京藝術大学名誉教授に就任、東京国立博物館評議委員や国立近代美術館設立準備員を歴任するなどして、日本の近代美術の発展の中核を担う役割も果たしました。
安田鞍彦の作品を探しています
現在いわの美術では、安田鞍彦による作品の買取を強化しております。戦前より変わらぬ独自のスタイルで活躍した数少ない鞍彦の作品は、画家としての長寿を全うし40年経た今でなお、市場にて価値あるもとして扱われています。ご売却をお考えの鞍彦による作品をお持ちのお客様はぜひ一度いわの美術にご連絡ください。スタッフ一同ご連絡をお待ち申し上げております。