今回お譲りいただいたお品は、鮮やかな色彩が印象的なヒロヤマガタのシルクスクリーン作品『ドリームオブディズニーランド』です。「ヤマガタブルー」と称される青色の濃淡が印象的な夜空に、どこかコミカルな表情のキャラクターや鮮やかな色の風船などが浮かび、見ているだけで心が躍る作品です。細部に渡る幻想的な世界は見るたびに新たな発見がありそうな、まるでミッキーやミニーからの魔法の世界の贈り物を受け取ったよう気で いつまででも眺めていたくなります。
シルクスクリーンとは
孔版画技法の一種。木やアルミの枠に紙や布などを張った版上に、織り目の細かい絹やナイロンなどをのせ、絵柄以外の部分にはインクが通過しないように目止めをし、布地の上から色をひいて、その網目からインクを刷り込ませていく。この工程を繰り替えし行うことで、図像を製作します。布地を通して厚くインクが刷られることにより、鮮やかな色彩を表現できるのが特徴。馴染みのあるステンシルの技法もシルクスクリーンの一種なので、イメージすると結びつきやすいと思います。
ヒロ・ヤマガタ
鮮やかな青色がキャンパスいっぱいに広がる世界観で知られるヒロヤマガタ(本名 山形 博導 やまがた ひろみち)は日本国内ではシルクスクリーンを手掛けるアーティストとしてのイメージが強いですが、アメリカなどではレーザーやホログラムアーティストとしてその名を広く知られる現代美術家です。
1948年 滋賀県生まれ。生まれ持った画才は幼い頃から人並優れ 小学生の時には毎日放課後に残り、美術の特別授業を受けるほどでした。地元の県立高校に進学したヒロヤマガタは同じ学校の美術教師、兼日本画家だった椙村睦親(すぎむら まさちか)に師事します。先生の書斎でふと目にしたフランス素朴家の画家アンリ・ルソーの作品集に大きな衝撃を受け、その後の絵画制作にも大きく影響することとなります。師匠の椙村のもとで絵画制作を続けますが、その頃から公募展などへ積極的に出品し数多くの受賞を重ねていきました。高校卒業と同時に上京し画材店でのアルバイトを経て、広告会社でデザインやイラストなどの仕事に就きます。
20代半ばになった1972年、熱い想いを抱え当時の恋人の後を追ってミラノに渡ったヒロヤマガタですが、無念にもその恋は実を結ぶことなく散ってしまいます。傷心のままヨーロッパ滞在を決意し、イタリアからパリへ渡った彼はルーヴル美術館に毎日通いつめヨーロッパの美術を肌で感じ取ります。その頃から油彩や水彩制作を手掛けるようになりましたが、翌年73年にはパリの画廊と契約を結び、本格的にパリに活動の拠点を構えます。フランス国内の画廊に出品するほか、ヨーロッパ各地にて個展を開くなどして広くその名を知られるようになりました。
1978年にはロサンゼルスの画廊と契約を結ぶと同時にロサンゼルスに移住します。その頃から代名詞でもある色鮮やかなシルクスクリーンの作品を手掛けることによってアメリカ国内でも一躍その名を知られるようになり、特徴的な写実感と簡素化した人物描写から生まれるギャップ感で人気を博すことになります。
70歳を超えた現在もなお、 ホログラムやレーザーを使った最新のアート分野に挑み続け、現代アートの第一線で活躍しています。
活動の特徴と作品の価値
もともとその独自性と質の高さで定評のあったヒロヤマガタですが、有名人や大企業とコラボレーションをすることで、更にその認知度を高めました。ゴルフ界の帝王・ジャックニクラスとの提携でゴルフ場を舞台とした絵画作品や、ドイツのメルセデスベンツ社とのコラボでは『アースリーパラダイス』シリーズで人気を集めました。
ディズニーとのコラボ作品はヒロヤマガタファンのみならず、ディズニー作品のコレクターからも需要があります。そのため、状態によっては高額買取りが望めるケースもあります。また版画作品の中には、限定数のみ作成されているものもあるため、たとえ画家のサインがなくとも希少価値がある場合もあります。買取価格が気になる作品をお持ちでしたら、ぜひ一度いわの美術までご相談ください。
その他のお買取り可能な版画家
吉田博・東山魁夷・斉藤清・浅野竹二 ほか多数