今回、いわの美術がお買取したお品物は、一立斎広重の保永堂板東海道五十三次です。
集英社から刊行されたもので、大判で55枚あるのが、保永堂板東海道五十三次の特徴です。
一立斎広重とは、歌川広重の事で一立斎は一時期、号として使用していた時のもので、保永堂板東海道五十三次は一立斎と号していた頃に制作された作品です。
保永堂板東海道五十三次は、広重の手掛けた初めての東海道五十三次として知られており、広重の出世作と言われ、ベストセラーとなっています。
また、保永堂板東海道五十三次が好評だったため、その後も「五十三次を描いて欲しい」という要望があり、広重は生涯に15シリーズの東海道五十三次を描きました。
そのため、研究者の間ではそれぞれの東海道五十三次に「行書東海道」「隷書東海道」「狂歌入り東海道」「人物東海道」など個別の呼び方をして区別しています。
東海道五十三次は、葛飾北斎も描いていた事で有名で、北斎も生涯で8シリーズの東海道五十三次を描いています。
しかし、北斎と広重の東海道五十三次の違いは、北斎が人物を中心に描いたのに対して広重は風景を中心に描いており、「真景」にこだわり、「実際の風景とは違う」と言われる事を極端に警戒していたそうです。
そして、広重が描く東海道五十三次に登場する大胆な構図と藍の美しさが際立つ青色の美しさに評価が高く、海外では「ジャパンブルー」「ヒロシゲブルー」などと呼ばれ、19世紀後半にフランスで発した印象派の画家やアール・ヌーヴォーの芸術家たちに大きな影響を与えたと言われています。