こちらは以前お買取りさせて頂いた阿吽洞玄々の置物です。
阿吽洞玄々は福島県の彫刻家で幼い頃から木彫の技術を学び、彫刻家山崎朝雲に師事しています。官費留学により渡仏した阿吽洞玄々はヨーロッパ彫刻を学び、帰国後は再び院展や帝展等で活躍しました。
本名は佐藤清蔵といいますが、生涯複数の作家名を名乗っています。はじめは師である山崎朝雲から「朝山」の号を貰い、山崎朝雲と不仲になると「朝山」の号を返しています。
その後一時本名に戻り、戦後になると阿吽洞玄々、佐藤玄々と名乗りました。
阿吽洞玄々は東京馬込にアトリエを持っていましたが、残念ながら戦災で初期の作品のほとんどは消失しています。そのせいかあまり一般的な知名度は高くない彫刻家ですが、その技量は高く、作品は横山大観に絶賛される程でした。