今回いわの美術では、人間国宝である十三代今泉今右衛門の色絵薄墨珠樹文花瓶をお買取り致しました。
十三代今泉今右衛門
1640年より色絵の伝統を守り続けてきた歴史ある今泉家に、1926年十二代目今泉今右衛門の長男として誕生したのが十三代今泉今右衛門でした。
十三代今泉今右衛門は家業を継ぐため、有田工業高校、東京美術学校工芸科へ入学し、卒業後は父親である十二代今泉今右衛門に師事し有田焼や色絵の技術を学びます。
有田焼など様々な古陶磁の研究をしながら自身も作品の製作を行い展覧会などに出品していたところ、1957年日展にて初の入選を果たします。
その後1959年まで日展に出品し続け、1962年からは日本伝統工芸展に出品場所を移しました。
以降様々な展覧会に出品しては受賞するという功績を残した十三代今泉今右衛門は、日本だけではなく海外の陶芸作品も研究したいと思い立ち、38歳でアメリカやヨーロッパの陶芸作品を視察に行きます。
帰国後は、さらに作品制作にのめり込み、1965年日本伝統工芸展に出品した作品が日本工芸会会長賞を受賞し、日本工芸会正会員にも推薦されました。
その後も展覧会への出品や、個展など作品を数多く世の中に輩出し、1968年には京都国立近代美術で「色絵笹輪文鉢」、1972年には東京国立近代美術館で「色絵かるかや文鉢」が買い上げされます。
十三代今泉今右衛門が49歳の頃父親の十二代今泉今右衛門が亡くなった事で十三代を襲名し、初代から守り続けてきた色鍋島の伝統も続けつつ、独自の表現方法を模索し始めます。
研究を重ねた結果、初期伊万里の「吹墨染付」からヒントを得て、後に十三代今泉今右衛門の代表作ともなる吹墨風技法で「薄墨」を開発しました。
63歳で色絵磁器の人間国宝に認定された後も展覧会への出品など製作意欲は衰えず、1992年には佐賀県有田窯業大学校の校長を務めるなど後世の育成にも励みます。
長年今泉家の伝統を守り続けてきた十三代今泉今右衛門は、自身の息子の次男に後を任せ、2001年75歳でこの世を去りました。
薄墨
十三代今泉今右衛門が十三代目を襲名した際に開発し、伝統ある色鍋島の殻を破った新たな技法となります。
薄墨は、顔料を霧吹きなどで作品に吹きかける吹墨という技法で作られますが、この技法は中国の明時代から使われていて、初期伊万里に見られるデザインでした。
十三代今泉今右衛門は、古陶磁の研究を数多く行っていた事からこのような技法を思いついたと思われます。
通常の吹墨は藍色でポイント的に描く作品などが多いのですが、十三代今泉今右衛門は、墨色を作品の背景とし、そこに模様を描いていきます。
これにより、従来の色鍋島と異なり暖かみのある作品へと仕上がりました。
色絵薄墨珠樹文花瓶
今回いわの美術がお買取りしましたのは、十三代今泉今右衛門の色絵薄墨珠樹文花瓶
です。
珠樹文というのは、実際にある植物ではなく十三代今泉今右衛門が考えた空想上の植物だそうです。
珠樹文の周りには葉がびっしりと描かれ、口の部分には屈輪文様、背景には吹墨風技法で墨色が綺麗に施されていますので、重厚感がありながらも温かい作品に仕上がっております。
今回こちらのお品物は、骨董品をコレクションされていた方からお譲り頂きました。
また、十三代今泉今右衛門の作品以外にも、陶芸作品や中国のお品物など数多くお買取りさせて頂きました。
弊社いわの美術では、十三代今泉今右衛門の作品をお買取り強化しております。
十三代今泉今右衛門の作品の中でも代表作と言われている薄墨は高価買取の可能性がございます。
十三代今泉今右衛門の作品や、今泉家の作品をお持ちでしたら、是非いわの美術までお気軽にご相談下さい。
また、十三代今泉今右衛門の作品以外でも様々なお品物をお買取りしております。
高価買取可能なお品物
葉山有樹・河井寛次郎・中国陶磁器・板谷波山・辻清明・北大路魯山人・辻村史朗
佐々木二六・神崎紫峰・鈴木蔵・舩木研兒・浜田庄司・金重陶陽・鈴木五郎などなど
上記の作品以外でも、絵画・掛軸・書道具・香道具・茶道具・洋食器・西洋アンティーク・ガラス工芸品・日本刀・お酒・古いおもちゃ・巻物・古文書・中国美術品・ジュエリーなど多数お買取りを行っております。
蔵・家の解体・お引越し・コレクションの整理・事務所移転の整理・遺品整理・生前整理・お店の閉店に伴うお片付けで出てきたお品物の売却先をお探しでしたら是非一度いわの美術までお問い合わせ下さい。