いわの美術ではこの度吉賀大眉による萩茶碗を高値買取させて頂きました。
伝統的な製法にこだわり 足けり轆轤と登り窯によって作られたこの作品は、手取りの感触が非常に馴染みやすいのが印象的で、萩焼らしい柔らかな色調と高台の土の風合いからも 人の手によって作られた温かみや味わい深さを感じます。
萩焼の歴史
茶の湯で使うための陶器『茶陶』としてよく知られる萩焼の歴史は長く400年ほど前の慶長時代にまで遡ります。「やきもの戦争」時代とも称される当時の藩主毛利輝元の命により、城下に萩藩の御用窯が開かれ、陶工として朝鮮から連れてこられた季兄弟などによる焼き物の人気が高まり需要が拡大したのが萩焼の始まりと言われています。
萩焼の特徴
「一楽、二萩、三唐津」とは抹茶茶碗の格付けとして古くより謳われている言葉ですが、このことからも多くの人々に萩焼が珍重されてきたことがよく分かります。
その特徴は使われる土や釉薬の特性によるもので、焼き締まりの少ない土を用いることにより、焼き上がりに微妙な隙間が生じます。使い込むうちにこの細かな隙間に水分や茶渋が浸透し、器の表面に徐々に模様として出てきます。長年使うことにより侘びた風合いに変化するこの特徴は「萩の七化け」と呼ばれ、萩焼ならではの魅力として多くの愛用家に親しまれています。
吉賀大眉 (よしか たいび)について
1915年山口県萩市の生まれ。萩の名窯として伝統のある泉流山(せんりゅうざん)窯元に長男として生まれ、幼少の頃より陶芸などものづくりに親しんで育ちました。東京美術学校(現在の東京藝術大学)では朝倉文夫や北村西望などから彫刻を学ぶと、卒業後は彫刻家として専念し文展などで入選を果たします。
卒業から5年後の1943年、萩へ帰郷したのをきっかけに彫刻とは一線を画し、陶芸家の加藤士師萌に弟子入りし、作陶を始めます。当時の萩焼の陶磁器はいわゆる商業用の工芸品として認識されることが多く、それらが美術品として扱われることはありませんでした。吉賀大眉は、その現状をどうにかしようと考え「これからは伝統だけにとらわれず伝統を超えた萩焼の美しさを極めよう」との思いから、造形美を追求した自らの作品を精力的に展覧会に発表し続けます。
そして「大眉茶碗」と呼ばれるまでの作品を作り上げる一方で、日本を代表する日展などの美術展での数々の受賞や芸術院賞を授与するなどし、その卓越した芸術性により萩焼を美術品として認めさせた陶芸家として輝かしい功績を修めました。
独自の技法や作風による芸術性の高さが評価されただけではなく、吉賀大眉の偉業はそれまでの大量生産による萩焼のスタイルから個人作家が活躍できる時代の流れを切り拓いたことにも繋がり、その大きな貢献から文化功労者としても称えられました。
また、後進の育成にも努めた大眉のもとで数多くの弟子が陶芸を学び、1991年享年76歳でこの世を去ったのちもなお、大眉の萩焼における教えと精神は弟子たちによって守られ 今日に至るまで引き継がれています。
いわの美術のお買取り
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