この度いわの美術では、唐津焼茶陶の第一人者・中里重利による『絵唐津茶盌』を買い取らせて頂きました。昭和から平成にかけて活躍された陶芸家で、伝統的な唐津様式の作風で知られています。なかでも古唐津からの流れを汲んだ茶陶は高い評価を受け、全国的にも根強いファンをもつ唐津焼の陶芸家として代表的な存在と言えます。
作者について
主な陶歴
1930 佐賀県唐津市生まれ
12代中里太郎右衛門・人間国宝 中里無庵の3男。兄に13代中里太郎右衛門
1952 日展にて初入選
1965 日展にて「三玄壷」で特選北斗賞を受賞
1973 唐津市神田山口に築窯。自らの作品にちなんで「三玄窯」と名付ける
1975 日本現代工芸美術展にて会員賞および文部大臣賞を受賞
1977 日展会員および日本現代工芸美術評議員となる
1980 日本新工芸展にて会員賞および楠部賞を受賞
1985 県芸術文化功労賞を受賞
2003 作陶55年を祝して「中里重利展」を開催
2015 腎不全のため福岡市にて死去
幼少期より唐津焼の人間国宝であった父・無庵より轆轤や窯焚きの技術を教え込まれて育ちました。有田青年学校で出会った先生のろくろ技術に感銘を受け、その後の作陶に大きく影響します。自在に土を操り 精巧に器を挽くには「作家であることより職人として体に技術を覚えさせること」と徹底的に轆轤と向かい合う日々を過ごしますが、当時の日本は終戦を迎えた混乱期の最中。1年で実家に呼び戻されると、作陶どころではなく一家総出でクワを取り、生活のため開墾に精を出します。それでも日々の労働の合間に時間を見つけ作陶を続けること7年。ついに22歳で憧れの日展において初入選を果たします。65年には同展で特選の北斗賞を受賞し、卓越した技術で父の片腕として窯の切り盛りをしました。
86年には評議員になり日展の重鎮として活躍する一方、古唐津の復興や普及にも情熱を傾け、古窯跡の研究にも関わりました。
自作品に因んだ命名の「三玄窯」の三玄とは仏教語で、真理そのものや修行で現れる真理をさすと言われており、唐津焼を挽くためにテカテカに光り、節目があらわになるまで回し続けたけやきの蹴轆轤を愛用する氏が 技を体得してもさらに真理を極めたいと生涯を通して作陶に挑んだ その精神性を垣間見ることができます。
唐津焼とは
そもそも唐津という地名は「唐(中国大陸や朝鮮)へ渡る津(港)」の意味から生まれたと言われています。玄界灘を隔てて目の前に朝鮮半島が横たわるこの土地で、今からおよそ400年前、文禄・慶長の役を期に大陸より渡米してきた陶工によってもたらされた技術が加わり一躍花開いた陶器が唐津焼で、その発展は更に伊万里磁器の先駆けともなりました。
また唐津焼は、茶陶に限らず大皿、酒器、その他、日常使いのもろもろの器に至るまで、種類の幅広さを特徴としています。また、作風も多種多様で、写真のように文様を描いたものを絵唐津と呼び、日本で初めて筆による文様が描かれた焼き物といわれています。
その他、白濁した釉薬を全体にかけ、まだらな色むらが味わいとなる斑唐津、白濁色と黒色の釉をかけ分けた朝鮮唐津など、素朴な中に味わいのある風合いで、多くのやきものファンを魅了します。なかでも利休も所持していたと伝えられる奥高麗は高麗茶碗の写しといわれ、びわ色の肌から醸し出される格調の高さから「一楽・二萩・三唐津」と和物茶碗の三指に数え入れられています。
いわの美術では、今回ご紹介した中里重利氏による唐津焼のほか、備前焼で知られる中村六郎、楽焼の出口王仁三郎など、ほか多数の作者による作品をお買取りさせて頂いております。
やきものの種類や作家、技法や状態によりお買取り価格は変わりますが、作品・陶印・箱書きなどの写真を弊社のホームページまたはLINEへ送って頂けますと無料で査定を致します。「作品の価値がまったくわからない...」などの場合でもフリーダイヤル(0120)226-590にて専門のスタッフが対応いたしますので、まずはお気軽にご相談ください。