今回ご紹介するこちらの茶碗は京焼を代表する江戸時代中期以来の陶工の名跡、清水六兵衛より6代六兵衛の作品です。
初代清水六兵衛が京都・五条坂に開窯したのが1771(明和8)年のこと。清水六兵衛は以来250年以上の間、当代8代に至るまで各代の当主が伝承を引き継ぎつつ、特質を活かした作品を世に送り出してきました。
洗練された京都らしいデザインで知られる歴代六兵衛作品ーなかでも6代の作品は日本画の素養を活かした重厚な趣で人気があります。
6代目清水六兵衛
1901(明治34)年、6代清水六兵衛(幼名・正太郎)は京焼の由緒ある名家5代清水六兵衛の長男として五条坂に生まれました。美術工芸学校を卒業したのち、京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学、竹内栖鳳、菊池契月、西山翠嶂、山本春拳、入江波光など、京都画壇を代表するそうそうたる画家たちより日本画を学んでいます。
1925(大正14)年、第12回商工省工芸展覧会に出品した花瓶で褒状を受け、華々しくデビューしたのを皮切りに、翌年には東京日本橋の三越で父とともに『六兵衛父子展』を開催、さらに帝展にて入選を果たすなど、活動初期より目覚ましい活躍をみせます。
その後も連続して帝展や新文展など、政府主宰の展覧会において入選を繰り返し、昭和を代表する官展陶芸家として確固たる地位を築きあげました。
6代は伝統に縛られることなく、古陶磁研究のために渡った中国にて魅せられた唐三彩の手法を自分の作品に取り入れたり、またある時はイタリアのマヨリカ風の様式を取り入れたりと、技法や釉薬を工夫するだけでなく、作風の上で創意工夫を繰り返し、常に新しい作品づくりを展開しました。
1948(昭和23)年には、作陶家としての個人の活動に加え、森野嘉光や新開寛山など47名の同志と共に京都陶芸家クラブを創設、陶芸の本質を研究しつつ互いの知識を向上させたほか、後進の育成にも尽力します。
1980(昭和55)年、歴代の業績を一堂に集めた『清水六兵衛歴代名陶展』が全国各地を巡回することになり、スタート会場にあたる東京高島屋でのオープニングにてスピーチ中、心筋梗塞の発作で倒れ、急死。日本画でも表現できないような簡明さと素朴さをもつ、極めて格調の高い作品で知られた6代目。その突然の死は、全国の工芸家やその愛好家たちに惜しまれる同時に、その後の巡回先に用意された六兵衛の新作展に改めて人々の注目を集めることとなりました。
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今回ご紹介した清水六兵衛作品には日本画の師匠だった幸野梅嶺や、富岡鉄斎、横山大観らとの合作も存在し、希少性からも高値での取引が期待できるケースもございます。「価値がわからないから」とご自身で諦めてしまう前にぜひ一度ご相談ください。
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