代々京焼を作り続けている家元の1つで、千家十職の土風炉・焼き物師でもあり、初代から現代まで17代に渡って伝統を受け継いでいます。 初代の西村宗禅は、室町時代に大和国(現代の奈良県)西京西村に住んでいて、春日大社の供御器を作っていました。
その頃西村の姓を名乗っていましたが、茶人の武野紹鴎の依頼で土風炉を製作するようになってから土風炉師・善五郎を名乗るようになりました。
初代宗禅の技術を受け継いだ2代目の宗善は、土風炉の名手と言われ、3代目の宗全は細川三斎や小堀遠州などの後ろ盾を得て遠州より宗全の銅印を貰い、それ以降9代目の宗厳まで陶印が使われ、宗全の陶印が残っている土風炉は宗全風炉とも呼ばれていました。
10代目の了全は宗厳の息子として生まれ、陶芸の道を進んでいましたが1788年に大火事があり家が全焼してしまい、代々受け継がれてきた宗全印も焼失してしまいました。
しかし、三千家の援助などにより自分の印を使えるようになり、その頃から千家への出入りが出来るようになったと言われています。
千家に同じく出入りをしていた楽吉左衛門とも親交を深め、同じ町に引っ越し、作品製作の影響を受けたと言われています。
了全の作風は楽吉左衛門の作る楽焼のみとは違い、伝統的な作品の写しなどを作っており、この頃から家業の土風炉以外にも茶碗などの作品も作られています。
了全は紀州徳川家の偕楽園焼を作り出したと言われ、陶芸家としての地位も確立させ、また保全を養子にして、技術を教え込み11代目の西村保全として家業を継がせます。
了全の養子である11代目西村保全は、様々な名品の写しを製作する事から陶芸の道が始まったとされていて、京焼を作っていた粟田口窯の岩倉山家や宝山家などへ出向き技術を習得します。
また、紀州徳川家にある御庭焼窯に吸江斎宗左や楽旦入などと一緒に招かれ、作品を献上した所、技術力が認められ10代藩主の徳川治宝により、河濱支流の金印と永楽の銀印を貰い、それ以降西村から永楽に正式に姓を変え、11代目から現代まで永楽の名で続けてきました。
永楽の名を世の中に知れ渡らせたのは、11代目の永楽保全と言われる程素晴らしい業績を残したと言われています。 今回のお品物は永楽善五郎が得意とする京焼で作られたお茶碗です。
雪がかぶっている松の背景に鳥が飛んでいる姿が描かれていてとても素晴らしい作品になっています。 箱に少しシミがございましたが、茶碗にはキズや汚れなどはなく、綺麗な状態でお買取り致しました。 いわの美術では永楽善五郎の作品を高価買取り致します。ご自宅などに永楽善五郎のお品物などございましたら是非一度いわの美術までお問い合わせください。