今回いわの美術では陶寿の常滑茶注をお買取り致しました。
小ぶりですが見た目より容量があり、玉露や煎茶を入れるのによく使われています。
箱、お品物共に綺麗な状態で保管されておりましたので高価買取させて頂きました。
作家について
陶寿は1932年(昭和7年)に愛知県常滑市で生まれ、本名を杉江弘隆といいます。家は窯業を営んでおり、父は土管職人、長兄の珠楽(杉江定一)は植木鉢を作り生計を立てていました。
幼い頃から家の手伝いをして育ち、15歳になると兄のもとで本格的にロクロを習います。当時担当していたのは大きめの植木鉢づくり。重量のある鉢を窯から出し入れするのはかなりの重労働だったそうで、本人は当時を振り返り「うだるような暑さの中、よく昼夜交代で窯の見張りをした。余熱があるまま焦って窯を開けてしまうと職人の衣服が燃え火事になることもあり、本当に大変な仕事だった。」と語っています。
長い下積み生活を経て、兄の子供が高校を卒業するのを機に40歳で独立しました。
急須を作るようになったのはこの頃からで、最初は作り方もわからず知り合いの職人を訪ねて形から研究したといいます。植木鉢などの制作経験を活かした特徴的なデザインは次第に人気を呼び、常滑焼を代表する作家の一人となりました。
陶寿の急須は素朴で愛らしいのはもちろんですが、使いやすさ・美しさにも非常にこだわっており使い手の意見をくみ上げて作っていたそうです。生涯現役職人として作陶生活を続け、2022年2月に惜しまれつつ89歳で亡くなりました。
日本独自の進化を遂げた「煎茶」
安土桃山時代に武家の間で嗜好品として茶が普及し、千利休らにより完成した茶の湯。江戸時代に入るとそれは幕府の儀礼に正式に用いられ、武家と茶の湯は切っても切れない関係となっていきました。この頃庶民の間にも茶の文化が広まり、茶葉を煎じた「煎茶」が流行します。
当時の煎茶は茶色をしていたそうですが、1738年(元文3年)に宇治の農民だった永谷宗円により「青製煎茶製法」と呼ばれる新たな製茶法が編み出されました。これにより鮮やかな緑色の茶を淹れられるようになったのです。この製茶法は全国に広まり日本における茶のスタンダードとなりました。さらに1835年(天保6年)には山本山の6代目・山本嘉兵衛が玉露の製茶法を考案し、煎茶は日本独自の進化を遂げてゆくのです。
ぜひこの機会に急須で淹れるお茶に触れてみてはいかがでしょうか?
弊社でも多数お取り扱いさせて頂いておりますので、お気軽にお問い合わせください。
茶道具のお買取りならいわの美術へ
今回ご紹介させて頂いた陶寿の急須はもちろん、茶道具・煎茶道具・洋食器・絵画など幅広くお買取り致しております。付属品の有無、お品物の状態で査定額が変わる場合がございますので、お客様ご自身で判断される前にぜひ一度ご相談ください。
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