今回いわの美術がお買取りしたお品物は、サンキョーが製作したオルフェウスのオルゴール50弁です。
オルフェウスとは
オルフェウスは、1985年日本電産サンキョー株式会社で作られたオルゴールの名称です。
日本で初めてオルゴールが広まった1852年以降、オルゴールを求める人が多かったものの当時の日本には部品を製作する技術がなく、技術者達は試行錯誤を繰り返し開発に努めていました。
日本電産サンキョー株式会社もその内の1つで、太平洋戦争終戦後に創業し2年後にはオルゴールの製作を開始します。
しかし、初めて出来た試作品の6台は弁を弾く櫛歯が折れてしまったり、櫛歯が折れなかったとしてもバケツを叩くような音が鳴るなど人前に出せる品物にはなりませんでした。
その後何度も試行錯誤を繰り返して、1985年にオルゴールの部品だけを作る工場を設立し、同年オルフェスのオルゴールを完成させる事に成功しました。
ちなみにオルフェウスの名は、ギリシャ神話の吟遊詩人「オルフェウス」から名づけられ
30弁以上のオルゴールのみオルフェウスの名が付けられます。
オルゴールの歴史
素晴らしい音色を奏でるオルゴールは、17世紀頃のスイスで歴史の幕を開けます。
その当時、カリヨンと呼ばれる音楽で時刻を知らせる鐘(今で言う時計)があったのですが、鐘の重量が重いのにもかかわらず演奏は手動でしたので、拳や足で鍵盤を踏み音を出す仕組みでした。
それを見兼ねた当時の時計職人が、バレルと呼ばれる木の筒に金属製のピンを打ち込み、バレルが回転する事で鍵盤の役割をするキーをピンが押し上げます。
するとキーについているロープが鐘を叩くハンマーと繋がれているので、押し上げられると同時にハンマーが鐘を叩いて音を奏でる自動演奏方法を確立させたのです。
これがオルゴールの原点となります。
その後、鐘からの調律された金属片が使われるなど小形化され、18世紀初頭には現在のオルゴールのようにシリンダー型が製作されましたが、全て職人の手作業だったのでお値段も高額な物が多く庶民が買える品物ではありませんでした。
多くの人にオルゴールを聞いてほしいと思った職人たちが努力し技術を上げた結果、19世紀には機械技術と加工技術が高まり、ディスクにピンを付けたディスク型オルゴールが誕生します。
シリンダーより安値で沢山作れる事から購入者が増え、多くの人がオルゴールの演奏を聞けるようになりました。
しかし、時代の流れは速く蓄音機やジュークボックス、ラジオなどが流行り出すとオルゴールの需要が低迷した事で多くの事業は倒産を余儀なくされてしまいます。
そんな中でも、スイスのリモージュ社と日本のサンキョーは現在でも高品質な品物を作り続け、密かに人気を得つづけています。
今回お買取りしたオルゴールは、オルフェウスの名にふさわしい50弁で2曲入ったオルゴールです。
象嵌など模様は施されていませんが、その分木目が際立ち、オルフェウスの特徴的なマークでもある堅琴の輝きも映えます。
曲はオーストラリアの作曲家シュトラウス2世が作曲した「美しく青きドナウ」とドイツの作曲家カール・マリアが作曲した「舞踏への誘惑」の2曲が入っています。
「美しく青きドナウ」はシュトラウス2世が作曲した「ウイーンの森の物語」と「皇帝円舞曲」とともに3大ワルツに数えられ、この三曲の中で「美しく青きドナウ」が最も人気が高い曲と言われています。
「舞踏への誘惑」は、カール・マリアが作曲したピアノ曲の中で最も有名な曲である事から、
「美しく青きドナウ」と「舞踏への誘惑」が入っているこのオルゴールはとても素晴らしいお品物と言えるでしょう。
弊社いわの美術では、オルゴールのお買取りも行っております。
今回お買取りしたこちらのオルゴールは、個人の方ではなく業者様からのご依頼でした。
古いお家を解体した際に、見慣れない木箱が落ちていたので拾って見てみたところ、こちらのオルゴールだったそうです。
その他にも、床の間に飾ってあった花瓶や皿、掛軸、箪笥に仕舞われていた着物など多数ございましたので出張でお伺い致しました。
弊社いわの美術では、個人の方だけではなく業者様からのお問い合わせも受け付けております。
解体中に出てきたお品物や、以前住まわれていた方が残した品物、相続の依頼で売却を考えているお品物などございましたらいわの美術までお問い合わせ下さい。
また、会社内の事務所に飾ってある骨董品などもお買取りしておりますので、業者様もお気軽にご連絡下さい。
今回お買取りしたオルフェウスのオルゴール以外にも、スイスの有名メーカーであるリュージュのオルゴールもお買取り致します。
仕舞ったままで空けていないオルゴールはございませんか?
売却でお困りでしたら是非いわの美術までご相談下さい。