群馬県出身の大正から昭和時代に活躍した彫刻家です。
日本芸術院会員として活躍し、娘・雨宮敬子、息子・雨宮淳も共に彫刻家で日本芸術院会員として活躍した彫刻一家として知られています。
東京美術学校彫刻科と研究科を卒業しており、帝展、文展、日展に出品を重ね、日展評議員、日展理事などをつとめています。
堅実で写実的な作風による男性像を中心に制作しており、隆起した筋肉は「美」という言葉がしっくりきます。
第12回日展に出品した作品「健人」は日本芸術院賞を受けた作品でも知られており、現在は日本体育大学世田谷キャンパス1階エントランスホールに設置されています。
「健人」という作品は精神と身体の調和のとれた美しい立像として、「本学でこの健人のごとく研ぎ澄まされた人物に成長すべし」という先輩たちからの願いが込められており、昭和42年の卒業生から贈られました。
また、雨宮治郎は展覧会以外の作品も制作しており、札幌市大通公園の「黒田清隆像」、東京国立競技場「槍投」などモニュメント作品も残しています。