福井県出身の彫刻家で、箏曲家、ハープ奏者としての顔も持っており、箏曲京極流2代目宗家もつとめました。
本名は外次郎といい、福井市相生町の紙問屋の次男として生まれました。
東京美術学校彫刻科で学び、卒業後も研究科に在籍していました。
その実力は文展で入選し、文部省にその作品が買い上げとなるほどで、将来有望な彫刻家として注目されていました。
しかし、アメリカとフランスでハープを習い始めるようになり、フランスではハープ奏者のマルセル・トゥルニエに師事して本格的に学びます。
器用な人物だったようでハープ奏者として活躍する一方で彫刻家としても国際的に活躍しており、「日本のロダン」と呼ばれていたようです。
雨田光平の彫刻作品は木、ブロンズ、石膏など様々な素材を使用しており、多様な技術を駆使する事ができる高い技術力も持っていました。
また、藤田嗣治や日名子実三らと交遊し、キュービズムやロシア構成主義の台頭するヨーロッパ彫刻界で学び、日本に帰国すると美術評論を手掛けながら「構造社」に所属、構造社展や帝展、新文展に構造主義的な作品を発表し戦前まで活躍します。
戦後は疎開先でもあった郷里の福井県を制作の場の中心として、絵画、詩、書、陶芸など幅広い分野で多くの作品を残しました。