栃木県出身の彫刻家で、現代美術家、詩人としての顔も持っています。
慶応義塾大学在学中に徴兵されていた時期もありましたが、帰国後は画家を志して東京藝術大学へ入学しています。
ここでは梅原龍三郎に学び、製作者懇談会と呼ばれる美術論議のグループに所属し、芸術論の交換をしながら戦争体験でばらばらになった世界観や自己への懐疑を再構築すべく、表現主義的な絵画で彼なりのリアリズムを築き上げようとしました。
東京藝術大学を卒業後は油彩画を学ぶためイタリアへ留学します。
チルコロ・インターナショナル研究所でのクロッキーなど絵画の基礎を学んでいる中、頭の中には「彫刻をやりたい」という気持ちが芽生えてきました。
そのため、彫刻家のペリクレ・ファッツィーニに師事して生まれて初めての彫刻の勉強を行います。
また、ミュンヘンでヘンリー・ムーアの大回顧展を見たことで、本格的に彫刻家としての道を歩みだし、日本よりも先にヨーロッパにおいて彫刻家として認められ評価されています。
日本に帰国すると彫刻作品だけではなくステンレスのモニュメントや評論、詩などを手掛け、「見えない彫刻」「震える空間」「彫刻の思想」など数多くの著作も出版しています。
彫刻作品のほとんどは個展で発表されており、飯田善国という一人の彫刻家の世界観を追求した作品に人気が集まっています。