山梨県出身の彫刻家で朝鮮半島の陶磁器研究家としても知られています。
また、弟も朝鮮民芸・陶芸の研究家・評論家として有名で、二人で朝鮮半島へ渡り、古い窯跡を調査していました。
浅川伯教は日本統治下の朝鮮半島で生活し、朝鮮の人の立場で朝鮮を捉えようとした人物で、これまで注目されなかった1392~1910年までの李氏朝鮮時代の陶磁器の美しさを日本に紹介しました。
民芸運動の中心的存在であった柳宗悦も浅川伯教を通じて朝鮮に対する理解を深めたそうで、李朝の陶磁器や工芸品は一躍注目される事になりました。
浅川伯教が朝鮮で李氏朝鮮時代の陶磁器の調査を始めるようになったきっかけは、朝鮮の美術工芸品に魅了された事でした。
朝鮮の小学校で教師として働きながら李朝陶磁器の産地の窯跡の調査に取り組み、調べた窯跡の数は700か所にも及びました。
その時、同行していたのが通訳もつとめていた池順鐸で、のちに韓国陶芸界で青磁作品の作家として活躍します。
このように浅川伯教が与えた影響は日本のみならず、朝鮮半島の人々にとってもとても重要なもので、現在、李朝陶磁器が作られているのは浅川伯教の功績があったからと言っても過言ではありません。
彫刻家としての活動は李朝陶磁器の研究の影に隠れてしまっていますが、新海竹太郎の内弟子として学び、帝展や平和博覧会記念美術展で入選を果たすほどの作品を制作しています。