静岡県出身の昭和時代に活躍した日本の彫刻家、人形作家です。
彫刻家としての活動よりも、彩色木彫による人形作家としての活躍の方が有名で、日本近代彫刻の巨匠である平櫛田中作品の9割を手掛けている事で知られています。
その実力は眼を見張るもので、緻密で美しい文様と微妙な色使いによって生み出された洋服のシワなど、木彫である事を忘れてしまうほどの精巧さを持っています。
彫刻家を志して上京した平野富山は、池野哲仙、斎藤素巌に師事しました。
初めて官展に出品をしたのが新文展で、この頃から「敬吉」の号を用いて制作活動にあたっています。
このまま官展で活躍を見せるのかと思いきや、一時的に官展への出品をしなくなりますが、戦後の日展で特選を受賞した事で再び官展で活躍を見せるようになります。
平野富山は団体展出品作には塑像が多く、ブロンズ像を中心に制作しており、特に裸婦像は得意なモチーフとして知られ、若く張りのある肉体をなめらかなモデリングでとらえています。
ポーズによっては自然物や抽象的概念を暗示する甘美な作風を示しており、現在も高く評価されている彫刻家として中古市場でも高値で取引されています。