20世紀を代表するイギリスの芸術家、彫刻家です。
大理石やブロンズを使った抽象彫刻で知られており、パブリック・アートとして世界中に多くの作品が設置されています。
ヘンリー・ムーアが手掛ける作品は抽象化された人体像が多く、その中でも母と子や横たわる人をモチーフにした作品は多数制作しています。
また、人体に穴が開いていたり、空洞になっているという特徴もあります。
ヘンリー・ムーアの作品タイトルが簡単なものになっているのは、あまりにも直接的なタイトルをつけると観客が意味を深く考える事なく次の作品へと目を移してしまうため、それでは作品を見ていても、実際に見ていないのと同じと考えた事から簡潔なタイトルをつけているそうです。
炭鉱夫の息子としてヨークシャーのキャッスルフォードで生まれたヘンリー・ムーアは、11歳の時に中学校で粘土や木による造形を美術教師に褒められた事がきっかけとなり彫刻家になる事を決意しました。
しかし、両親は彫刻家を職業としては認めてくれませんでした。
そんな中、18歳になると第一次世界大戦により徴兵され、戦いの中で毒ガス攻撃を受けましたが回復は早く、一命をとりとめます。
戦後、退役軍人の手当を受け取ったあとリーズ芸術学校の彫刻の最初の生徒として学業に励みました。
当初はオルメカ文明、トルテカ文明やマヤ文明などの石像、チチェン・イッツアから出土したチャック・モールの石膏模型から大きな影響を受けた作品が多く、模型などを作らず直接作品を彫る「ダイレクト・カーヴィング」に重きをおいていました。
そのため、木や石の塊を何度も彫る事で彫刻の形が次第にできあがっていく制作方法を用いていました。
しかし、様々な芸術家と触れ合うようになると段々とスケッチを行ったり、粘土や石膏を使った模型を作ってから蝋型法でブロンズ像の鋳造の仕上げに入るようになっていきました。
第二次世界大戦後はパブリック・アートの依頼が増え、その作業をこなすために直彫りをあきらめ助手を何人か雇い入れ雛形を制作するようになり、ヘンリー・ムーアの作品はネルソン・アトキンズ美術館、ヘンリー・ムーア財団、国立国際美術館、箱根彫刻の森美術館などで多くの美術館に常設展示されています。
そんなヘンリー・ムーアは多くのモニュメントを手掛けていたため、美術家としては並外れた財力を持っていましたが、自身は質素な生活を送っており、残された財源は「ヘンリー・ムーア財団」の基金として寄付され、美術教育や普及の支援のために使われています。