オーストリアの芸術家、画家、建築家です。
日本では「フンダートヴァッサー」「フンデルトワッサー」という呼び方も多く用いられています。
特に色鮮やかな外見で自然と調和した建築作品で知られており、フレーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーの作品には自然界に存在しない直線が使われていないのが特徴です。
中でもフンデルトヴァッサーハウスというオーストリアの首都ウィーンにある公共住宅が有名で、多くの観光客が訪れる観光スポットにもなっています。
もちろん、この公共住宅には現在も住人が住んでおり、当時のウィーン市長がフレーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーの考えに共感し、人と植物の共生をコンセプトにした公共住宅を造って欲しいと依頼されて実現したものでした。
また、日本で版画の制作も行っており、その時はサインも漢字で「百水」と日本語に直訳して使用しています。
そんなフレーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーですが、幼い頃は森で花を摘み、押し花にするのが好きだった少年で、花の色をきれいなまま残したいと絵を描きはじめるようになりました。
しかし、10歳になった頃、ナチス・ドイツによってオーストリアが支配下となり、母親がユダヤ系であった事から、ユダヤ人街へ追いやられ、地下室で隠れて暮らすようになります。
こうして戦争が終わり、20歳の時にウィーン美術アカデミーで本格的に絵の勉強をはじめますが、学校での授業よりもイタリア、フランス、モロッコなどを旅しながら絵を描く事を選び、スケッチブックを片手に旅に出ました。
その中で北アフリカの広大な台地は一番の刺激を受け、床も壁も赤い土で出来た伝統的な土の家はまさにフレーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーが求める自然そのものでした。
しかし、都会へ戻ると戦後の建設ラッシュの真っ只中で、新しい建物はみな角ばっていて、灰色の無機質な存在にしか見えず、それがまるで人を閉じ込める刑務所のように感じてしまいました。
こういった建築に違和感を感じるようになったフレーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーは、自然への回帰を唱え、曲線を多用した独自の様式を編み出し、独特の建物を造るようになります。
フレーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーの建築物はオーストリアのみならず、日本やドイツなどの他国でも見る事ができます。
日本ではTBSの『21世紀カウントダウン時計』、キッズプラザ大阪の『こどもの街』をはじめ、大阪市環境局舞洲工場(ごみ処理場)や大阪市舞洲スラッジセンター(下水汚泥処理施設)があり、その名は知られていなくても、建築物は見た事があるという人も多い芸術家です。
一方、商業アーティストとしての面でも、優れた才能を発揮させており、郵便切手のデザイン、車のナンバープレート、コイン、本の装丁などがあり、フレーデンスライヒ・フンデルトヴァッサーが亡くなった今でも再評価されています。
また、日本では日本の風呂敷を「美しくて、無駄がない」として賞賛し、12種類の風呂敷絵を描き、商品化されました。