熊本県出身の昭和~平成時代に活躍する彫刻家、版画家です。
熊本の自宅兼アトリエで制作活動を行っており、自分が見た戦争を記録しておきたいという気持ちの表れが従軍していた時の記憶を呼び起こし、インパクトのある独自の世界観を持つ作品を生み出しています。
その作品は、核戦争のような人間社会の不条理や人間心理の暗部といった深刻なテーマをブラックユーモアに包んで表現しており、「冷たく、暗い、金属的な感じ」を求めた結果、技法的には一貫してエッチングを主体としていますが、場合によってはアクアチントを併用する事もあります。
浜田知明は作品を発表する時に厳しく選別を行っており、自分の納得いくものでないと発表しないため、年間に発表される作品は数点と少ない事で知られています。
そのため、初期の頃の作品のほとんどは本人によって破棄されていると言われています。
浜田知明は中学生の頃、東京美術学校を卒業後すぐに美術教師として赴任していた洋画家・富田至誠に指導を受けました。
芸術に興味を持った浜田知明は、飛び級で16歳の時に東京美術学校に油画科に入学します。
ここでは洋画家・藤島武二に指導を受け、確かな表現力と技術力の基礎を身につけましたが、戦時中という事もあり、東京美術学校を卒業すると熊本歩兵連隊に入隊し、中国山西省方面で軍務につきました。
その後、満期除隊となりましたが翌年に再び入隊する事となり、伊豆七島の新縞で軍務についています。
そのため、20代のほとんどは軍隊で過ごしており、作品の数も少ないのですが、戦地でもスケッチを欠かす事はなかったそうです。
終戦後は熊本へ戻り、県立熊本商業学校の教員をしながら作品制作を重ね、自由美術家協会に所属すると作家として本格的に活動を始めるようになります。
自由美術家協会展に出品した銅版画『初年兵哀歌』シリーズは、一兵士の人間としての苦悩を描いたものとして高い評価を受けており、浜田知明作品の代名詞となる作品として後に国内外の多くの人たちに知られていきます。
オーストリアのアルベルティーナ版画素描館とグラーツ州立近代美術館、イギリスの大英博物館日本ギャラリーで回顧展を開催し、イタリアのウフィツィ美術館で日本人版画家として初めて作品が展示・収蔵されるなど国際的にも活躍を見せています。
また、版画だけではなくブロンズでの彫刻にも挑戦しており、版画の世界観を立体的に表現しているため、リアリティが増し、今にも動き出しそうな不気味で不思議さを感じる作品へと仕上がっています。