三重県出身の昭和時代に活躍した日本の彫刻家です。
西洋美術と東洋美術を独自に融合させた作風で知られ、シュルレアリスムなどの影響を受けている事を感じ取る事ができます。
また、故郷は伊勢神宮の近くにあったため、神仏を尊ぶ価値観や仏教彫刻にも触れていた事が影響し、仏像なども多く制作しています。
生家は味噌醤油の類から反物まである雑貨屋を営んでおり、屋号を「酒屋」と言いました。
これは祖父の時代に酒屋として商いを行っていた事に由来しており、いずれは家業を継ぐ予定でした。
しかし、父親は身体の弱かった橋本平八に果樹園を経営してもらおうと、色々と学ばせていました。
そんな中、創刊された雑誌「白樺」によって印象派や後期印象派の作家を知った橋本平八は芸術に憧れを抱き、特にミレーやゴッホに感銘を受け彫刻家を志す事を決意します。
上京して佐藤朝山や三宅正直に師事して彫刻技術を学び、院展で初入選を果たすと同人に推挙され、彫刻家として順調なスタートを切りました。
橋本平八は制作活動を行う上で、完璧な研究を追い求めており、例えば『猫』の制作にあたっては、猫を飼いその動きをくまなく調べ、最終的には解剖して骨格・内臓・筋肉まで理解しなければ満足しないという猟奇的な一面も持ち合わせていました。