京都府出身の昭和時代に活躍した日本の彫刻家です。
戦後の具象彫刻を代表する作家の一人で、流麗なモデリングによる作風が高く評価されており、多くの裸婦像を制作しました。
『原爆の子の群像』『坂本龍馬・中岡慎太郎』『海の男たち』『平和の群像-あけぼの-』など多くの記念像の制作を行った事でも知られています。
父・菊池契月、祖父・菊池芳文と著名な日本画家の家庭に生まれた菊池一雄は幼い頃から感性を磨き、いつしか彫刻家を志すようになりました。
上京して第一高等学校に入学すると在学中から藤川勇造に師事します。
藤川勇造はフランスの留学経験もあり、オーギュスト・ロダンの晩年の助手をつとめた人物で二科会で活躍した彫刻家でした。
その一方で小林萬吾の同舟社に通い石膏デッサンを学び、彫刻に必要な基礎をしっかりと叩き込みました。
こうして二科技塾が創設されると塑像をはじめるようになり、東京大学紋学部で美術史を学びました。
二科展で初入選を果たすと渡欧し、フランスの彫刻家シャルル・デスピオに学びました。
デスピオもまたロダンの助手として活躍した人物で、日本の彫刻界にとっても大きな影響を与えた彫刻家です。
帰国してからは京都市立美術専門学校や東京藝術大学の教授として後進の指導にあたっており、その一方で自身の制作活動も熱心に行っていました。