フランスの女性の彫刻家で、オーギュスト・ロダンの弟子として知られ、類まれなる美貌を持ち、ロダンのモデル・愛人であった事も広く知られています。
彫刻家としての才能も素晴らしいもので現在では高く評価されていますが、当時は「ロダンの真似」「ロダンの弟子だから」という理由でまったく評価されていませんでした。
フランス・エーヌ県のフェレ=アン=タルドノワ出身のカミーユ・クローデルは、生まれる前に兄がいましたがカミーユ・クローデルが生まれる前に亡くなっており、母親はその事でカミーユ・クローデルに愛情を注ぐ事ができず、その寂しさを埋めるために幼い頃は粘土で像を作る事に夢中になっていました。
次第に古典文学に傾倒していき、神話の世界や家族をモチーフに本格的な作品を作るようになります。
それを見た彫刻家・アルフレッド・ブーシェはカミーユ・クローデルの才能に驚き、17歳で彫刻家を目指すため家族を説得してブーシェのいるパリに出ます。
当時、女性が彫刻家になるという事は奇想天外な発想であったため、母親も妹もカミーユ・クローデルの事は快く思っていませんでした。
そんなカミーユ・クローデルはブーシェからロダンを紹介され、ロダンはカミーユの美貌と才能に魅了され、カミーユ・クローデルをモデルに作品を制作し、共同制作者として次々と作品を発表していきました。
その一方で二人は激しく愛し合うようになり、ロダンの内妻であるローズから激しい嫉妬を受けます。
そんな関係が15年も続き、カミーユ・クローデルはロダンの子を身ごもりますが、無事に産む事はできませんでした。
更にロダンは名声が高まり忙しくなるとカミーユを捨て、内妻ローズのもとへと帰ってしまいます。
その事でカミーユ・クローデルは激しく落ち込みますが、その気持ちを作品に託し、彫刻家として名声を高める事を決意しました。
しかし、ロダンの名声の高さやカミーユ・クローデルが女性という事もあり、作品はまったく評価されず、カミーユ・クローデルの精神は次第に平静を保っていられなくなりました。
「ロダンがアイデアを盗みに来る」と強迫観念を抱き、自分自身を追い詰めるようになると家族によって精神病院へ入院させられてしまいます。
これを機にカミーユ・クローデルはこれまでに制作した作品のほとんどを自らの手で破壊してしまいました。
精神病院ではロダンへの憎しみと周りの人々を見下す事によってかろうじて自我を保っていられる状態でしたが、弟・ポール以外の家族は一度も病院へ見舞に来る事はなく、病院内で孤独にこの世を去ってしまいました。
そんなカミーユ・クローデルの作品は亡くなってから再評価されており、これには弟・ポールが残されたカミーユ・クローデルの作品をロダン美術館で展示するように働きかけた事と、カミーユ・クローデルの生涯が話題となった事が大きく関係しています。