ケーテ・コルヴィッツはドイツ出身の女性芸術家で、版画や彫刻で貧しい庶民の生活や働いている様子を作品としている事でも知られていますが、自身が呻吟(しんぎん)した様子を数多くの作品で表現している事でも知られています。
ケーテ・コルヴィッツは、ドイツの東プロイセンにあるケーニヒスベルク(現・ロシア領)で苦心して大学に通い、法律学を学んだ後に判事補として働いていた経験がありつつも左官屋を営んでいた父のカール・シュミットと母のケーテ・ループとの間に生まれています。
ケーテ・コルヴィッツは幼い頃から父の職場で働いていた職人から絵や銅版画を学んでおり、美術センスを磨くには最適な環境で育っています。
後に父は、娘であるケーテ・コルヴィッツの潜在的な才能を開花させるために、兄の就学先であるベルリンへと旅立たせています。
ベルリンを訪れるとマックス・クリンガーなどのベルリン分離派の芸術家達の影響を受け一旦帰郷しますが、ベルリンよりも芸術的な環境の良いミュンヘンを訪れ、フランス印象派の作品に影響を受けると、色彩表現よりも白黒版画やスケッチが自身の好みである事に目覚め、再び帰郷し、港で働く女性達を版画で表現するようになりました。
その後ケーテ・コルヴィッツは兄の友人で健康保険医のカール・コルヴィッツと結婚し、ベルリンのスラム街に住み、貧しい生活や戦争体験に共感しながら貧困や苦労を表現するようになっています。
後に10年以上かけて完成させた『農民戦争』という版画集がマックス・クリンガーによって創設されたヴィラ・ロマーナ賞を受賞したことで評価されると、版画の他にも彫刻を手掛けるようになっていきます。
しかし第一次世界大戦が勃発し、息子が兵士へ志願する事を後押しした結果、末息子のピーターが戦地で命を落とし、長い間悲しみに閉ざされてしまいました。
またこれだけではなく長男ハンスの息子である孫のペーターも東部戦線で命を落とすなど、考えられないほどの大きなショックを経験し、それを表現した芸術家として現在も語り継がれていますが、当時は反ナチス的な作家とされた事で芸術家としての活動を禁じられてしまいました。
しかし、圧力に負けずに密かに制作を続けていたようで、第二次世界大戦の終結を見ることなくこの世を去りました。