【ケーテ・コルヴィッツ】買取作家・取扱い一覧 彫刻

ケーテ・コルヴィッツ

ケーテ・コルヴィッツ
ケーテ・コルヴィッツ(1867~1945)
ケーテ・コルヴィッツはドイツ出身の女性芸術家で、版画や彫刻で貧しい庶民の生活や働いている様子を作品としている事でも知られていますが、自身が呻吟(しんぎん)した様子を数多くの作品で表現している事でも知られています。
 
ケーテ・コルヴィッツは、ドイツの東プロイセンにあるケーニヒスベルク(現・ロシア領)で苦心して大学に通い、法律学を学んだ後に判事補として働いていた経験がありつつも左官屋を営んでいた父のカール・シュミットと母のケーテ・ループとの間に生まれています。
ケーテ・コルヴィッツは幼い頃から父の職場で働いていた職人から絵や銅版画を学んでおり、美術センスを磨くには最適な環境で育っています。
後に父は、娘であるケーテ・コルヴィッツの潜在的な才能を開花させるために、兄の就学先であるベルリンへと旅立たせています。
 
ベルリンを訪れるとマックス・クリンガーなどのベルリン分離派の芸術家達の影響を受け一旦帰郷しますが、ベルリンよりも芸術的な環境の良いミュンヘンを訪れ、フランス印象派の作品に影響を受けると、色彩表現よりも白黒版画やスケッチが自身の好みである事に目覚め、再び帰郷し、港で働く女性達を版画で表現するようになりました。
その後ケーテ・コルヴィッツは兄の友人で健康保険医のカール・コルヴィッツと結婚し、ベルリンのスラム街に住み、貧しい生活や戦争体験に共感しながら貧困や苦労を表現するようになっています。
 
後に10年以上かけて完成させた『農民戦争』という版画集がマックス・クリンガーによって創設されたヴィラ・ロマーナ賞を受賞したことで評価されると、版画の他にも彫刻を手掛けるようになっていきます。
しかし第一次世界大戦が勃発し、息子が兵士へ志願する事を後押しした結果、末息子のピーターが戦地で命を落とし、長い間悲しみに閉ざされてしまいました。
またこれだけではなく長男ハンスの息子である孫のペーターも東部戦線で命を落とすなど、考えられないほどの大きなショックを経験し、それを表現した芸術家として現在も語り継がれていますが、当時は反ナチス的な作家とされた事で芸術家としての活動を禁じられてしまいました。
しかし、圧力に負けずに密かに制作を続けていたようで、第二次世界大戦の終結を見ることなくこの世を去りました。

ケーテ・コルヴィッツ年表


1867年 ドイツで生まれる
1884年 この頃に絵の勉強をするたえにドイツに渡る
1890年 帰郷する
1891年 カール・コルヴィッツと結婚する
1908年 この頃から版画に加えて彫刻も手掛ける
1914年 息子のピーターが戦地で命を落とす
1919年 プロイセン芸術院で初の女性会員となる
1929年 プール・ル・メリット勲章を受章する
1933年 反ナチス的作家とされ制作活動が禁止となる
1940年 カール・コルヴィッツ、孫のペーターがこの世を去る
1943年 ベルリン空襲で住宅と多くのデッサンを失う
1945年 逝去

1867年 ドイツで生まれる

1884年 この頃に絵の勉強をするためにドイツに渡る

1890年 帰郷する

1891年 カール・コルヴィッツと結婚する

1908年 この頃から版画に加えて彫刻も手掛ける

1914年 息子のピーターが戦地で命を落とす

1919年 プロイセン芸術院で初の女性会員となる

1929年 プール・ル・メリット勲章を受章する

1933年 反ナチス的作家とされ制作活動が禁止となる

1940年 カール・コルヴィッツ、孫のペーターがこの世を去る

1943年 ベルリン空襲で住宅と多くのデッサンを失う

1945年 逝去


ケーテ・コルヴィッツ代表作


『母と2人の子』
『両親』
『種を粉に挽いてはならない』
『織匠』
『農民戦争』

『母と2人の子』

『両親』

『種を粉に挽いてはならない』

『織匠』

『農民戦争』


ケーテ・コルヴィッツ高価買取ならいわの美術にお任せください!
骨董品・美術品のお役立ち情報
査定だけでもOK!お気軽にご相談ください
0120-226-590
LINE査定
お問い合わせ・無料査定
お客様のご希望に合わせた2つの買取方法
宅配買取出張買取
買取品目
作家別買取
いわの美術株式会社
横須賀本店
〒238-0008
神奈川県横須賀市大滝町2丁目21
0120-226-590 ※持ち込み要予約
営業時間 9:00~19:00(年中無休)
HOMEへ戻る
ページトップへ
PCサイトへ
Copyright © 2012 Iwano Art. All Rights Reserved.