後藤貞行は「馬専門の彫刻家」や「馬の後藤」と称されるほど、馬に精通していた彫刻家として知られており、高村光雲に師事していた事も広く知られています。
後藤貞行は紀州藩士の次男として生まれ、駿河国(現・静岡県)で育ち、8歳の頃に和歌山で武芸・学問を学んだといわれており、16歳の頃になると幕府の騎兵所で学び、廃藩置県後は東京などで兵馬術を学んでいます。
後藤貞行は20代半ばにさしかかる頃に軍事顧問団の1人として来日していたオーギュスタン・デシャルムに西洋画を学び、陸軍戸山学校の図画取調掛となり、軍馬局に勤めている時に石版画、写真術などを学びました。
しかし以前から大好きだった馬を再現したかったがどれも自身の思う表現にならなかったそうで、馬そのものを作るには立体的な木彫りの技術が必要だと考え、多くの木彫り職人を訪ね師事を願い出ましたが、30歳を超えてではスタートが遅いという理由で断られ続けました。
こうして顏馴染みの高村光雲に師事を願い、「あなたの頭の中にはすでに馬がいるわけですから木さえ彫れれば自然に彫れるでしょう」と手ほどきを受けます。
後に後藤貞行が彫った馬は広く知られるようになり、大正天皇が東宮様の頃の御乗馬用木馬を制作し、他にも自身の一番の願いだった等身大の馬の像である金華山号の制作も果たしました。
後藤貞行の制作する馬は、現在では見慣れている競走馬のようなシュッとしている感じとは違い、人間とは全く違う体格と筋肉を感じ、風に揺れる尻尾に優しさも感じつつ何でも見抜きそうな本能的な鋭い眼光が印象に残る作品に仕上がっています。