小金丸幾久は長崎県出身の彫刻家で、東京大学建築学科の講師もつとめた事でも知られており、実績としては長崎県佐世保市にある平和の女神像などの記念碑もあります。
小金丸幾久は、長崎県壱岐郡武生水村(現・壱岐市郷ノ浦町)の出身で、独学で彫刻を学び、20代半ばの頃に文展で初入選を果たしました。
日本で最初の洋画団体となった明治美術会(現・太平洋美術会)が主催する太平洋展での奨励賞を受賞したのを皮切りに、精力的に活動し受賞を重ね、作家としての活動を行いながら太平洋美術学校教授や東京大学建築学科の講師をつとめます。
小金丸幾久は還暦の頃に自身初となる個展を開催し、翌年には東京大学講師を定年で退官し創作活動に専念します。
この頃にロサンゼルスインターナショナル展に出品し金賞を受賞するなど国内だけではなく海外でも高い評価を得ており、その翌年に自身の「小金丸幾久作品展示室」を開設しています。
このように小金丸幾久は還暦を超えてからも精力的に活動を続け、毎年のように作品を生み出しています。
また白内障や心筋梗塞にも負けずに活動を続けていた事でも知られており、これまでの作品は青森から沖縄、遠くはハワイまであり、総数としては700点を超えるといわれています。
また小金丸幾久が生み出す作品は優しくも語りかけ、力強く叫び続けているといわれており、見た者を鼓舞し、夢を抱かせると高い評価を受けています。