富山県出身の昭和時代に活躍した日本の彫刻家です。
ブロンズによる裸婦像を得意としており、ディテールの再現にこだわらない、おおらかな表現による量感のある裸婦像を多く残しました。
松田尚之の作品は、自然の組み立てと不思議な金工のうねりの中で独自の造形世界を構築している部分が高く評価されています。
彫刻家を志した松田尚之は東京美術学校彫刻科に入学し、「東洋のロダン」と呼ばれた朝倉文夫に師事し、朝倉文夫の影響を受けた作風が見られるようになります。
在学中に帝展で初入選を果たすと以後、毎回帝展に出品を続けました。
戦後になると日展で活躍を見せるようになり、日本芸術院賞を受賞し、日本芸術院会員として活躍を見せます。
その一方で、京都帝国大学講師、京都市立美術工芸専門学校教諭、金沢美術工芸大学教授、京都芸術大学教授をつとめるなど、後身の指導にも尽力しています。
裸婦像を多く手掛けた松田尚之ですが、働く男たちを力強く表現した彫刻を手掛けています。
それは、黒部ダムの建設で働く6人の男の姿を彫像にしたもので、これは黒部ダム建設で殉職した171名を慰霊するために慰霊碑とともに設置されたものでした。
この他にも第19回全国中等学校優勝野球大会の優勝メダルも手掛けており、こういった商業彫刻も手掛けていました。