長崎県出身の昭和~平成時代に活躍する日本の彫刻家です。
世界的に活躍する彫刻家、作庭家として知られ、ニューヨークで開催した個展では全ての作品が完売してしまった事から「Samurai Artist」の異名を持っており、日本国内はもちろん海外でも活躍を見せています。
また、庭園制作も行っており、代表作に東京天理教館庭園、皆生温泉東光園庭園などがあります。
流政之の父親は立命館大学の創立者である中川小十郎で、13歳の頃から京都に移り住み、剣法、古流武道を教え込まれました。
この事がきっかけで後に刀鍛冶の門を叩きますが、進んだ道は彫刻家としての道でした。
立命館大学法文学部に入学しますが、中退し、自ら志願をして海軍飛行科予備学生となり、零戦のパイロットとして終戦を迎えました。
その後、敗戦の日本の姿を確かめるために世界各地を放浪し、独学で彫刻を学んでいきます。
第二次世界大戦で亡くなった日米戦没パイロットの追悼のための作品「飛」「上昇」「洋上」「生」を制作し、初の個展となる「飛行空間」を開催しました。
その後、別の個展で建築家イーロ・サーリネン夫妻が流政之の作品を買い求めた事がきっかけで、イーロ・サーリネン夫妻の友人で、当時のジャパンソサイエティーの会長であったロックフェラー3世の妻ブランシェット夫人にも作品が買い求められた事で、国際的に活躍する道筋ができました。
こうしてアメリカへ渡り、2500個、重さ600トンの石を持ち込んだ巨大な石のインスタレーション『ストーンクレイジー』を発表し、ニューヨークワールドトレードセンターのパブリックアートとして巨大な漆黒の作品『雲の砦』の制作を行いました。
しかしこの作品は、2001年の起きたアメリカ同時多発テロ事件でビルの崩壊を受けても作品が壊れる事はありませんでしたが、救助活動の際、重機を運びこむために壊されてしまいました。
こうして国際的に評価されるようになった流政之の作品ですが、日本でも高い評価を受けており、数多くのパブリックアートが日本各地に設置されており、日本アカデミー賞のため御神体『映画神像』の制作も手掛けました。