東京都出身の昭和~平成時代に活躍した日本の彫刻家です。
感性豊かで格調高い人体ブロンズ像を数多く制作し、写実の根幹は揺らぐことなく、伸びやかで清冽な精神性が高く評価されている事で知られています。
戦時中に疎開先であった茨城県と縁が深く、茨城県水戸市の公園などには能島征二が制作した水戸黄門像や徳川慶喜像などが設置されています。
日本芸術院会員、日展常務理事、日本彫刻会常務理事、茨城県美術展覧会会長などをつとめ、日本の彫刻界に大きく貢献してきました。
東京・浅草で生まれた能島征二は、戦時中の母親の郷里である茨城県笠間市に疎開します。
茨城県笠間市は笠間焼という焼物で有名な土地で、能島征二も中学時代には笠間焼の粘土を使って塑像を作って遊んでいたりしました。
その後、日本画家であった父親から彫刻の基礎を学び、彫刻に興味を持ち、彫刻家・小森邦夫に師事します。
その才能は高校在学中に県展に入選するという早熟した才能を見せ、日展を中心に作品を発表するようになります。
作品制作のかたわら、古代エジプトからギリシャ・ローマ、中世キリスト教美術やルネッサンス、近現代の彫刻、中国の敦煌、奈良の古仏の彫刻群など様々な芸術作品の鑑賞を行い、自らの作風の幅を広げていきました。
そんな能島征二の作品は人体の躍動感にあり、今にも動き出しそうな作品たちは現在でも高い評価を受け続けています。