福井県出身の日本の陶芸家です。
はじめは彫刻家・竹内久一に師事し、彫刻家として活動をし、生計を立てていましたが、フランスのセーブル陶磁器製作所に入り、陶磁器の研究を重ねると陶磁器彫刻という新しい可能性を見出し、その第一人者として活躍しました。
その功績は日本芸術院賞恩賜賞を受賞するほどのもので、東京美術学校教授、帝展審査員などをつとめるなど後進の指導にも力を注いでいました。
フランス留学では陶磁器以外にも彫刻、絵画を勉強しており、帰国した沼田一雅は、官展を中心に陶磁器彫刻という作品を出品し、陶芸界に大きな衝撃と新しいジャンルをもたらしました。
しかし、その作品たちも関東大震災によってそのほとんどが焼失し、沼田一雅に関しての資料もあまり残っていない事から現存している作品は希少価値が高く、中古市場でも高値で取引される傾向のある作家として知られています。
また、日本陶彫会の設立に関与しており、瀬戸の地にセーブルの陶磁器彫刻を始めようと計画を立て、半工半農の工芸家村構想を立てて実行し、デコラティヴ陶磁彫刻研究所を創立しました。
しかし、沼田一雅の仕事ぶりは瀬戸の作家たちには受け入れられず、3年ほどで瀬戸の地を去っています。