東京都出身の昭和~平成時代に活躍した日本の彫刻家です。
写実的な女性の裸体像や若い男性像を得意とした彫刻家で、美空ひばりの等身大のブロンズ像を手掛けている事でも知られています。
この美空ひばりのブロンズ像は、12歳の頃の美空ひばりが「悲しき口笛」を歌っている姿をモチーフにしており、シルクハットをかぶり、燕尾服にステッキを持った姿が当時の美空ひばりを思い起こさせてくれます。
私立では唯一の理科の専門学校であった東京物理学校に入学した進藤武松ですが、訳あって中退しており、構造社彫塑研究所に入所しました。
構造社は昭和時代の戦前期に設立された彫刻団体で、彫刻と建築の総合を目的として結成されたものです。
進藤武松はここで斎藤素巌に学びました。
ちなみに斎藤素巌は構造社を結成した中心人物の一人で、作品は主にメダルやレリーフといったものが中心でした。
斎藤素巌はもともと帝展で裸婦像などを手掛け活躍していた彫刻家でしたので、進藤武松も師譲りの技術力と表現力の高さで多くの裸婦像を手掛けてきました。
進藤武松が生み出す作品は写実を主体として、力強く密度ある肉付けで人体の個性や生命感を表現しており、人間を写し出したような雰囲気を持っています。
そこには、モデルにごく自然でその人物を引き立たせるしぐさを求め、さらに精神性を組み込む進藤武松の制作スタイルが大きく関係しています。
こうして進藤武松は構造社の展覧会で初入選を果たすと次々に受賞を重ね、文展に活躍の場を広げます。
日本芸術院賞を受賞し、日展で中心的作家として活躍するようになった進藤武松は、日展常務理事、日本彫刻会常務理事をつとめるほどの彫刻家として認められました。