長野県出身の大正~昭和時代に活躍した日本の彫刻家です。
生命感に溢れるブロンズ像で高い評価を受けており、その作品は長野県県内をはじめ日本全国で見る事ができ、特に学校や公共施設に多く展示されています。
師であるアントワーヌ・ブールデル直伝の彫刻理論と精神に基づく教育理念を持って後進の指導にあたっており、武蔵野美術学園の初代学園長をつとめました。
また、府立第一高等女学校、日本大学専門学部芸術科、戦後は早稲田大学理工学部建築科などでも長期にわたり講師をしていた事でも知られています。
幼い頃から美術の才能を見せていた清水多嘉示は、はじめは画家を志し、風景や人物を重厚な色彩とタッチで描いていていました。
本格的に絵画を学ぶまでは代用教員として働き、中村彝の知遇を得て二科展出品を重ねていました。
フランスへ渡ってからはサロン・デ・テュイルリーでアントワーヌ・ブールデルと出会い、その作品に感銘を受け、彫刻家を志すようになります。
こうしてサロン・ドートンヌへは絵画と彫刻作品を出品しており、アルベルト・ジャコメッティ、藤田嗣治、イサム・ノグチ、小山敬三らとも交友を持ちました。
帰国してからはブロンズ彫刻を中心に作品を発表しており、戦後は日展に出品を重ねていきます。
日本国内では様々な美術学校の講師や教授などをつとめ、後進に指導にあたっていますがその活躍は日本国内のみならず、国際造型芸術連盟の会議に日本代表執行委員として出席し、ジュネーブの国際電気通信連盟から国際彫刻コンクールの審査委員の要請を受けるなど国際的にも活躍する芸術家として認められました。