大分県出身の明治~昭和時代に活躍した日本の彫刻家です。
渡辺長男という名前を聞いても分からない人も多いようですが、彫刻家・朝倉文夫は実の弟だという事は知られています。
人物彫刻を得意としており、明治天皇騎馬像や井上馨像、太田道灌像、広瀬中佐像など数多くの作品を残していますが、広瀬中佐像はGHQの顔色をうかがい自主的に撤去したので、現存していません。
この他にも東京日本橋の欄干の麒麟と獅子のブロンズ像も手掛けています。
祖先は摂津で、伊丹有岡城主荒木村重に仕えていた渡辺彦左衛門という家柄に生まれた渡辺長男は、東京美術学校に入学し、仏像彫刻家の山田鬼斎に師事しました。
山田鬼斎から彫刻の基礎を学び、イタリアへと留学していた長沼守敬からヨーロッパの彫刻技術を学ぶとすぐに頭角を現し、先駆性を交えた作品を展開するようになりました。
その後、高村光太郎、武石弘三郎、白井雨山、青木外吉ら同窓生と「青年彫塑会」を結成し、木彫家をもまじえて技術上の交流をはかり、新進気鋭の彫刻家として注目されるようになります。
そんな中、後に有名な彫刻家となる弟の朝倉文夫が渡辺長男を頼って上京します。
朝倉文夫は俳人を志していましたが、渡辺長男の彫刻家としての姿に大きく影響されたといいます。