東京浅草出身の陶芸家で、初代・井上良斎の長男として生まれました。
初代・井上良斎は江戸末期に尾張瀬戸から江戸へ出て、浅草に窯を築いて「隅田焼」を名乗った事で知られています。
そんな井上良斎は本名を井上良太郎といい、17歳で家業の陶磁器製造所を継ぎました。
近代陶芸の祖とされている板谷波山に師事した事でも知られており、東陶会の創立に参加して本格的に創作陶芸を行い、日展を中心に活躍した事で知られています。
関東大震災で被災した事をきっかけに輸出に便利な港町の神奈川県横浜市に窯場を移しており、新しい窯場の近くには横浜真葛焼で有名な宮川香山の窯場もありました。
しかし、横浜大空襲によって横浜の街は焼土と化し、宮川香山の窯場も含めてこの地にあったもの全てが焼け野原となってしまいました。
その中でも井上良斎の窯場は運良く戦火を免れ、陶芸家としての活動をすぐに再開する事ができ、戦後は「神奈川焼」を名乗って創作陶芸作家として横浜文化賞、芸術院賞などを受賞する活躍を見せました。
作風は、青磁・白磁および掻き落しの技法を用いた線刻文様図柄に優れ、落ち着いた色調の作品を多く制作しており、その作品は現在でも高く評価されています。