長野県出身の昭和時代の日本の陶芸家です。
弟子には女性陶芸家の辻輝子などがいます。
真紅の鶏血釉薬の焼き物を得意としており、第9回帝展に「鶏血三彩壷」で初入選を果たし、以後9回入選します。
愛知県窯業学校を卒業後、東京都中野区に陶窯を築き作陶に励み、日展や文展などに出品し、昭和11年文展に出品した「陶製草文水差し」が政府の買上げとなりました。
後に数々の美術展の審査員をつとめました。
また、東陶会を起こして陶磁界の発展に尽くしました。
著書には「陶窯巡り」「趣味の陶芸」
「陶磁器及上絵楽焼の釉薬と絵具の調合法-実地応用」
「陶磁器の鑑賞」「粘土細工と其楽焼の仕方」があります。
晩年は、長野県上伊那郡に築窯しました。
昭和29年5月19日、狭心症の為、東京都中野区の自宅で亡くなりました。享年63歳でした。