信楽焼の陶工で、江戸時代末から信楽焼の伝統を伝えている上田家の当主が代々襲名する名前です。
高橋春斎とならび信楽二大巨匠とも称されており、5代上田直方と3代高橋春斎は窖窯焼成による伝統技法を守りながらも独自の感性を盛り込んだ作品を制作するライバルとしてお互いに切磋琢磨し、現代信楽焼に大きな影響を与えており、生年も没年も同じでした。
信楽焼は聖武天皇が紫香楽の離宮を造営する8世紀中頃から焼かれるようになったとされており、侘茶を完成に導いた室町時代の茶匠・竹野紹鷗の目にとまり、茶陶として扱われるようになりました。
その後、千利休や小堀遠州なども信楽焼の茶陶を愛した事から信楽焼は茶陶としてのゆるぎない地位を確立しました。
その信楽焼の伝統を守るため、幕末から明治にかけて活躍したのが高橋楽斎や石井直方らでした。
この石井直方は2代目から上田と姓を改め、代々受け継がれてきました。
4代、5代はともに滋賀県の無形文化財の認定を受けており、上田家は信楽茶陶の本流を歩む名門として続いています。
当代は6代となっており、5代の娘と結婚した事でその名を襲名する事になりました。
上田家の取り扱う茶陶の種類は多く、信楽陶器の代表的な「鬼桶水指」をはじめ、花入、大壺、大皿や、茶碗、香合、香炉、茶入、蓋置などを制作しています。