奈良県出身の陶芸家で、大塩正人の名は赤膚焼(あかはだやき)の窯元である正人窯の当主が代々襲名している名前です。
赤膚焼は奈良県奈良市と大和郡山市に窯場が点在する肌に赤みを帯びている独自の焼物で、桃山時代に大和郡山城主であった豊臣秀長が五条村赤膚山に開窯したと伝えられている由緒正しき焼物です。
江戸時代後期には藩主・柳沢保光の保護を受け、幕末には名工・奥田木白が仁清写しなどの技術を披露した事で世に広まり、小堀遠州の目に留まって好まれたことから遠州七窯の一つとして数えられるようになりました。
8代は本名を正義といい、幼い頃から陶芸に親しみ育ったため、陶芸家になるために京都市立美術学校彫刻科で学び、京都陶磁器試験所で研修を重ねます。
その頃、6代・清水六兵衛が主催する主宰する京都陶芸家クラブに入り現代陶芸にも興味を持つようになり、多彩な表現方法を身に付けました。
もちろん、父親である7代からも陶芸の指導を受けながら伝統技術を学んでいます。
日展や個展を中心に作品を発表しており、奈良絵(大和絵)という赤や緑の鮮やかな色彩でかわいらしい鳥居や鹿などが描いてある現代感覚に溢れる新しい赤膚焼の創作を追及した作品を展開しています。